de54à24

pour tous et pour personne

風俗街の舗道で、今日のナナたちの自由

 

一昨日の晩から、あろうことか「自由」について考え続けている。そして昨日の晩からはそれに加えて「本質としての死/現象としての死」という表現が頭からは離れない。寝て起きたら忘れるどころか、私の意思に代わって思考を続けていた夢のおかげで、寝起きの瞬間にはそこにあるものをすべて書き出さなくてはパンクしそうなほどに頭がいっぱいだった。混乱そのものと訣別するが如くほとんど力尽くで枕から頭を引き剥がした。顔を洗ってメイクをし、ロマンスという名が付けられた香水を耳の後ろに少しだけつけると、ようやく心が外行きになった。久しぶりにデニムのパンツに両脚を通し、母から譲り受けたセーターと妹が要らないといってよこしたダウンを着た。病院の予約時間にはまだ幾分早い時刻ではあったが、雪がちらつく真冬の空気を吸い尽くしたくて急いで部屋をでた。バッグにはスケッチブックとたくさんの鉛筆、記号論の本を一冊といつもつかっているノートとペンケースが入っている。朝の街を、通勤中の人たちに混ざって閑歩した。

  

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今日の診察は、主治医に背中を押してもらうための面談だったようである──畢竟、次のチャンスを生かせなかったとしても、あなたが懸命に向き合ってきた学問はこれからもずっとなくなりませんよ、と言われてすべてが腑に落ちた気がした。人生は人生、学問は学問、それ以外のなにものでもない──人生は学問でもないし、学問は人生でもないから、どちらかが転んで失敗しても、別な方が手を取って起き上がらせてくれる。

 

人それぞれ、たくさんの人間関係によって日々を編んでいるが、そのうち本質的な関係とは一体どのくらいあるのだろうか。つまり、いくつの本質的重要性──かけがえのなさ──によって裏付けられた人間関係があれば、人は十分安全に生きていけるのだろうか。かけがえのなさを決定する枢要なるものは様々であろうが、私はそのひとにしか訊けない(あるいは、そのひと以外に訊いても意味がないと思う)なんらかの質問や疑問が存在する場合、そのひとと自分との間に生じている関係性は本質的なものを含んでいると考えることにしている。そして本質的である関係性は、すべてを受け容れることのできる神ではない私が、生活のなかで物事に優先順位をつけるにあたって重要な礎となるのである。人間関係が大切なのは、コネクションやコミュニケーションのためではない。あるいは助け合いや繋がり、絆といったより精神論染みたものであるはずもない。人間関係が尊いものであるのは、それが自分の歩みを進める──自分の人生を生きる──道しるべとなるからに他ならない。人間関係において内面や精神を語ることは、翻ってその尊い関係をむしろ進んで瓦解することのように思われる。

 

ものごとの本質などというものを21世紀になってもなお大真面目に語ろうというのは、多少ならずとも言語に絶して自縄自縛に陥るのが明らかな愚行のように思われるが、それが「死」についてとなればなおのことである。再び、ゴダール女と男のいる舗道』についてを、ここに少しばかり呵してみたい。

 

今村純子氏(以下敬称略)は「瞬間の形而上学 : 『女と男のいる舗道』をめぐって」*1の第四章(pp. 30-32)に「「現象としての死」と「本質としての死」」というタイトルを付しているのだが、果たして死に現象も本質もあるだろうか──正確に言えば、死は常に現象であるところにおいて本質となるがゆえに、それらふたつを分けることなど無意味ではないか。とはいえ、重箱の隅を突くような議論をしていても仕方がないので、もう少し先へ進もう(死の本質と現象の問題についてなどは、おそらく後にウラジミール・ジャンケレヴィッチやエリザベス・キューブラー・ロスなどを参照して再考するだろう)。そこにはこのようなことが書かれている。

 

(…)物語の最終場面において、ナナを売り飛ばそうとするラウールと売り飛ばす先の「ひも」とのいかさいに巻き込まれたナナは、最初は売り飛ばす先の「ひも」に、次にだめ押しのようにラウールに撃たれた、死ぬ。まさしくこのナナの「現象としての死」の描写をもって、映画は幕を閉じる。/この主人公の突然の「現象としての死」は、鑑賞者に大きな衝撃を与えざるを得ない。だが、映画全体において問題になっているのは、この「現象としての死」ではなく、むしろ、この衝撃から逆照射される「本質としての死」である。つまり、射殺される以前に、「ナナの魂は果たして生きていたのか?」ということが問われなければならないのである。

 

(今村純子「瞬間の形而上学 : 『女と男のいる舗道』をめぐって」op. cit., p. 31)

 

「ナナの魂は果たして生きていたのか?」という問いについて、今村は、娼婦となったナナの生活は、「ナナの「わたくし」から乖離した、実体のない生活」であり、「「考えること」をしたら、生きてゆけない生活」(Op. cit., p. 33)であると述べ、自分で語る言葉を持たないナナ(娼婦)は、苦悩することも、それによって主体を確立することもできていないのだということを指摘している。言葉も苦悩も主体もないところで、魂は生きられない──これがナナの姿である。つまり、「現象としての死」以前にナナは「魂の死」すなわち「本質として死」に捉えられていたのだろう。鑑賞者はそのようなナナの姿を通じて、自分の人生を生きるということはどういうことかを「感性を通じて認識せざるをえない」(今村, op. cit., p. 33)というのがこの論文における今村の結論である。

 

ここでもう一つ、この論文と同様の問題を射程にいれているスーザン・ソンタグのエッセイを再び読み直そう。前述の議論をソンタグのエッセイへと引き継ぐならば、次のように言うことができるだろう。すなわち、今村が「魂の死」=「本質としての死」と呼んだものを、ソンタグはむしろ「自由」の問題として考察するのである、と。ソンタグのエッセイは『女と男のいる舗道』における「自由」の問題について敷衍された論考と位置づけられるが、しかし「自由」についての考量に加えてもう一つ、忽略できない重要な点がある。すなわちこのエッセイ全編に渡って通奏低音として響いている〈形式〉と〈内容〉という美学的対立構造である*2。この〈形式〉-〈内容〉の対立が、様々な変奏(たとえば証言-分析や外面-内面、実存-本質*3)を伴って、ゴダールの映画を論じるという形式をとりながら、やがてナナというひとりの娼婦によって「証言」される(かもしれない)「自由」についてのある確信的ヴィジョンへと収斂する。例えば、このエッセイの始めのほうでソンタグは芸術についての次のように記している。

 

2.
すべて芸術は証言の一形式として、最も激烈な精神による正確性の主張として、考えうるものであろう。すべて芸術作品は、その提示する動きに関して論ずるまでもなく明白であろうとするひとつの試みとして、眺められるであろう。

 

3.
証言と分析は違う。証言は、何かが起こったという事実を打ち立てる。分析はなぜ起こったのかを示す。証言は、定義としては、完璧な議論の一形式である。だが完璧性の代償として、証言はつねに形式的である。(…)分析は実体がある。分析は、定義としてはつねに不完全な論証の一形式である。正しく言えば、分析には終わりがない。/ひとつの芸術作品がどの程度に証言の一形式としてあみ出されるものかは、もちろん、釣合の問題である。たしかに、作品によっては他のものより形式に重点をおいて証言をより多くめざすものもある。だがやはり、ここが私の論じたいところだが、すべて芸術は形式なるものへ、実体なるものよりむしろ形式に違いない完璧性に、向かうものだ──優美と衣装を展開する集結部へ。心理的動機づけや社会的要因によって納得させることは二義的なものにすぎない。(…)

 

4.
証言をもっぱらとする芸術は、二つの意味で形式的である。その主題は(素材を超えた)事柄の形式であり、(素材を超えた)意識の形式である。その手段も形式的だ──すなわち、意匠としてもきわだって目立つ要素をもっている(シンメトリー、反復、転置、ダブリングなど)。(…)

 

5.
ゴダールの映画は、どちらかというと分析よりは証言に傾いている。『女と男のいる舗道』は提示であり、証明である。それは何かが起こったことを示す、なぜ起こったかではなしに。

 

スーザン・ソンタグゴダールの『女と男のいる舗道』」, 『反解釈』海老根宏/川村錠一郎/喜志哲雄訳, 筑摩書房, 1996, pp. 315-316. 太字は引用者による) 

 

芸術(作品)は分析ではなく証言となるべきである、というのがここでのソンタグの主張であり、芸術に対する構えである。そして証言とは、「何かが起こったという事実を打ち立て」、そして「その提示する動き[何かが起こったということ]に関して論ずるまでもなく明白であろうとする」ような「完璧な議論の一形式」である──この完璧性故に、証言は形式的にならざるを得ない。要するに、芸術(作品)は、分析ではなく証言であるが故に〈形式〉に絶対的な重きを置かざるをえないものであり、さらに換言すれば、そこに差し出されている芸術(作品)と対峙する者にとって、それが表現し伝えようとする事柄(すなわち〈内容〉)に触れようとすればするほどに求められる「明白さ」のために、芸術(作品)は究竟すべて〈形式〉として現れるのである。

 

ソンタグにとってこの準則は、芸術にのみ適用されるものではなく、例えばその背後にある美や自由、さらには人生に至るまでの広大な範疇に反映されるものである──それ故に、〈内容〉に対する〈形式〉の優位というテーゼさらに強固に打ち立てられることとなる。「ナナは自分が自由なことを知っている、とゴダールは語る。が、その自由には心理的内面が皆無である。自由は内面の心理的な何かではない──もっと物理的な美点に近い」のだから、必然「この映画は心理学をまったく避けている。感情を、内面の苦痛を探ることがまるでない」ソンタグ, op. cit., p. 327)のである。映画とナナの人生の本質的問題はすべて外面、形式にある。

 

自由が生成される場所は、心理的内面ではなくより物理的な領域である。だから、ソンタグの議論においては、例えば先の今村の議論が指摘しているような「内面的苦悩によって確立する主体」というものは、そもそも存在しない──主体の自由と内面的苦悩はなんの関係もない。ソンタグにとっては、そのように語られる内面など、自由や美、芸術、果ては人生にとって、ただただ邪魔なだけであると言わんばかりである。そもそも内面は、魂に到達するためには破られるべき障碍のようなものなのだ。映画の冒頭、ナナへ向けて別れた夫ポールによって引用される8才の少女が書いた短い作文がある──「めんどりには外と中があります。外をむくと中が残り、中をむくと魂が見えます」(フランス語のめんどり poule には淫売婦という意味がある)。

 

女と男のいる舗道』で、われわれはナナが裸になるのに立ち合う。ナナが彼女の外側、つまり昔の彼女を脱ぎ捨てたところから映画は始まる。やがていくつかのエピソードのうちに現れる新しい彼女とは、売春婦としての彼女である。ただし、ゴダールの関心は心理にあるのでもなければ売春の社会学にあるのでもない。彼は人生という環境領域から離脱する行動の最もラディカルな隠喩[メタファ]として、売春を取り上げる──実験演習地として、何が人生の本質で何が余計なものなのかを探求するひとつの試練として。

 

スーザン・ソンタグ, op. cit., pp. 324-325)

 

内面を剥ぐとそこにある「人生の本質」、すなわちこれが自由である。ポールの妻でありひとりの子の母であるナナが、妻と母という環境を剥ぎ棄て、「女優になる」という心の中にしまっていた目標の前で娼婦となる。外と中に覆われた魂は女優になることではなく、娼婦として生きることそのものとなる。ソンタグは、ゴダールがこの映画の基調としたモンテーニュの自由律──「あなた自身を他人にあたえなさい。あなた自身をあなた自身にあたえなさい」──を引いて次のように述べている。「売春婦の生涯は、むろんのこと、自分を他人にあたえる行為の最もラディカルな隠喩[メタファ]である。だが、ナナが自分を自分にとっておく姿を、ゴダールはどのように示したのかを訊ねるとしたら、答えはこうだ──ゴダールはそれを示していない。示すというよりは、詳細に究明しているのだ」(ソンタグ, op. cit., p. 327)。

 

ソンタグはふと立ち止まり、モンテーニュの自由律をナナがいかにして達成しているかを考える。娼婦の生活とは、ほかでもなく他人に自分を与える行為の究極的メタファであるが、果たしてナナはいかにして自身を自身に与えているのか? それに対するソンタグの結論は──ゴダールはその方法を明示してはいない、なぜならそれこそがこの映画が映画として探求している点であり、これに関わるすべての人間(ゴダールやカリーナ、鑑賞者を含む)が自ら続けるべき探求なのである。自由のための最後のピース──「自分自身に自分を与えるとは?」

 

しかしながら、モンテーニュに再度立ち返れば、ソンタグの議論にさらに付け加えることができるかもしれない。「死についてあらかじめ考えることは、自由について考えることにほかならない。死に方を学んだ人間は、奴隷の心を忘れることができた人間なのだ」というモンテーニュが『エセー』に記した一節を思い出そう。『女と男のいる舗道』の最終幕でナナがなんの理由もなく男たちに撃ち殺される──そして恐らく死んでいく──が、その時、鑑賞者はそれまでナナに重ねて究明を続けていた自由についての熟考を突然に裏返されることとなる。自由の思索の裏側には、ほかでもない死があったのだ。ナナの死は、自由のメタモルフォーゼとしての死を証言する。それによって私たちは、モンテーニュの死と自由についてのあの箴言を唐突に理解するであろう──否、分析的な理解ではない、私たちは自由について考えることが死について考えること、そして死について考えることは自由を考えること──すなわち、自由を実現すること──とであるという証言を、目撃するのである*4

 

先日の「あしたが見えない - NHK クローズアップ現代」は、若年女性の貧困問題の象徴としての性産業やその背景にある社会保障の実質的破綻を伝えるものであった。そこに映された女性たちも「餓死」や「自殺」ということばをつかい、例外なく「死」について考えずにはいられない状況にあることが示されていた。文化的歴史的経済的背景に多少の違いはあれ、死の影に怯えながら性産業に従事する女性たちに、ナナの姿を重ねないわけにはいかない。しかし、現代日本のナナたちは、あの映画という文化的抵抗の後に生まれてきた女性たちである。彼女たちが死について考えずにはいられないほどに切迫した状況にあるということ、それは経済的精神的苦悩だけを意味するのではない──社会学や経済学、あるいは心理学やジャーナリズムはそこまでしか言及しない(言及しない、ということがそこにある問題を「言及されたこと」だけに矮小化してしまわぬよう、私たちは注意深く考えなくてはならない)。そうではなく、彼女たちの状況を以て、これ以上ないほどまでに深刻に真剣に自由について考え続ける姿であると私たちは証言しなくてはならないのではないか。ゴダールが、『女と男のいる舗道』に数分に及んで静かに涙を流すナナとジャンヌ・ダルクを交互に映すショットを織り込んでいたことを思い出しながら、私は本質的な自由の実現について考えずにはいられない。

 

 

 

 

*1:今村純子「瞬間の形而上学 : 『女と男のいる舗道』をめぐって」, 『慶應義塾大学日吉紀要: 人文科学 The Hiyoshi review of the humanities』,  慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会, №23, 2008, pp. 23-34.[pdf] 

*2:形式と内容の問題は、スーザン・ソンタグの初期の思索全体において中核をなすものであり、それは「ゴダールの『女と男のいる舗道』」が収められている『反解釈』全体を通じて打ち出されるソンタグの問題意識である。

*3:しかしながら、この実存-本質の対立構造から、ソンタグサルトル的な実存主義と呼ぶことはできないように思う。これはそのまま、この拙論冒頭で触れた死の本質と現象の対立は可能かという疑問と通じるだろう。

*4:加えて、ゴダールにとって娼婦という存在は広く社会──特に男女というものの関係──について考える際につねに鍵となるものである。ここにも次のようなモンテーニュ思索が受け継がれているといえる──「本当のことを白状しよう。われわれのうちで、自分の不徳よりも妻の不徳から来る恥辱を恐れない者は一人もいない。自分の良心よりも、かわいい妻の良心に気をつかわない者は一人もいない。(…)われわれの過酷な法令は、女性がこの不貞という不徳におけることを、その本質以上にひとぢ、不徳なものと見なし、この不徳を原因よりも悪い結果にまきこんでいる。(…)したがって、女性がそれほど激しく、それほど自然な欲望を抑えようと務めるのはばかげている。私は彼女らがいかにも処女らしく、冷静な意志をもっていることを自慢するのを聞くと、せせら笑ってやる」(『エセー』第3巻第5章「ウェルギリウスの詩句について」)。

Vivre sa vie!

 

二月になったばかりだというのに、昼間は南側の窓に加えて東側の部屋で一番大きな窓も開け放つほどに気温も湿度も高かった。夜になってもまだ寒いとは言い切れない、なんとも心地の悪い空気が漂っている──挙げ句の果てに少し前からお囃子が聞こえるのである(節分祭りだろう)。私は冬が好きなのだ。あらゆる雑音を雪にのみ込まれた、冬の街が好きなのだ。冬の寒さは、肉の気配を消してくれる。空気の温もりは、否応なしに死を連想させる。かつて暮らした常夏の街は、一年中温く淀んだ音に埋もれていた。人々の鼓動は遅く、意識は緩み、生と死は不愉快なほどに境界を消失したがっていた。頭上の空や街路の草花が強烈にその生彩を放っているように見えるのは、毒あたりなのだ。景色がいつになく鮮やかに映るのは、それが夏の強い日差しに照らされているからではない。あの麻薬的効用を持つ暑さが毒牙となって人々のからだを指すからだ。よく眼を凝らしてみればいい、冬は夏よりも多彩だ。

 

ジャン=リュック・ゴダールの『女と男のいる舗道』(原題:彼女の人生を生きる:12景からなる映画  Vivre sa vie: film en douze tableaux, 1962)をみた。それが何度目の再生となるのか、もう思い出して数え上げることもできないが、この作品は初期のゴダール映画のなかで私がもっとも愛する一篇である(ちなみにここのプロフィール画像は、Vivre sa vieアンナ・カリーナ)。一度でもヌーヴェルヴァーグ作品を観たことがあるものならば大体想像がつくかもしれないが、この映画について語ろうとするとき、そのあらすじを書き記すことはおそらくほとんどなんの意味もない(したがって、「ネタバレ」というなにやら威圧的な秘密主義もここではなんの効力もない)。ゴダール作品全篇に言えることだが、このような「筋書きによって形づくられていない作品」は、必然的に多くの映画愛好者や文学および映画芸術の研究に従事する者たちによる無限のことばと解釈の生成の水際ともなってきた。そして、半ば以上嘲笑的な意味をこめて、それらの言葉はすべて発せられたが最後、否定されてきたのである。

 

12

ENCORE LE JEUNE HOMME - LE PORTRAIT OVALE -
RAOUL REVEND NANA

(若い男 楕円形の肖像 ラウール ナナを売る)

 

[男が読んでいる本:

EDGAR POE ŒUVRES COMPLÈTES/TRADUCTION de Ch. Baudelaire

『エドガー・ポー全集』シャルル・ボードレール訳]

 

(ポー「不思議物語」ボードレール訳)

 

NANA:今日は何をする?

LUIGI:分からない 公園にでも行こうか

NANA:雨が降りそう

 

 眩い明かりの中に 一枚の絵が見えた
 女として成熟した 若い娘の肖像だった
 絵を見るなり私は目を閉じた
 考えるための衝動的な動作だった
 錯覚でない事を確かめ
 そして冷静に 的確に 見つめるためだった
 また私は肖像画を じっと見つめた
 確かに若い娘の肖像だった
 肩から上だけを描いた ビネットと呼ばれるスタイルで
 トマス・サリー風の画風だった
 腕も 胸も 美しい髪も背景の影の中に
 溶けこんでいた
 芸術作品として 最も美しい絵と思われた
 しかし私の心を 揺さぶったのは
  絵に描かれた女の顔の 美しさではなかった
 ましてや私の幻想が 生きた女の顔と 見誤ったわけでもない
 やがて絵の持つ効果の 秘密に満足して 私は身を横たえた
 生きているような表情
 生命のある表情
 それが絵の魔力だった

 

NANA:あなたの本?

LUIGI:ここにあった

NANA:タバコくれない?

LUIGI:私達の物語だ 画家が妻の肖像を描く 続けようか?

 

 実際 その肖像画を見た人は 生き写しと讃えて不思議がり
 画家の深い愛のなせる証拠と噂し合った
 だが やがて 作品の完成が近づくにつれ 小塔は閉じられた
 画家はカンバスから 目を離さなかった
 彼は気づかなかった
 カンバスの色合いが 妻の両頬から引き出されたものである事を
 何週間もが過ぎ あとは口元に一筆と 目の辺りに一色を
 残すばかりとなった時
 女の魂はランプのしんのように燃え上がった
 最後の一筆 最後の一色が 加えられた
 画家は一瞬 恍惚として 立ちつくしていた
 だが 次の瞬間 絵を見つめたまま
 驚きに身をおののかせ 叫んだ
 これは生き身だ!
 ふと愛する妻の方を 振り向いた
 妻は死んでいた

 

NANAルーブルへ行きたい

LUIGI:美術館なんて退屈さ

NANA:なぜ? 芸術 美 それが人生!

    大好きよ

LUIGI:愛してる

    一緒に暮らそう

 

ジャン=リュック・ゴダール『男と女のいる舗道』〈エピソードⅫ〉) 

 

ナナと言語哲学者ブリス・パランの会話よって成り立つ〈エピソードⅪ〉に続くのがこのナナとルイジという恋人たちの不思議な掛け合いである。この〈エピソードⅫ〉はふたりの掛け合いといくつかの挿入によって成立しているのだが、そこにあるのはあたかも「話せば話すほど、意味がなくなる」(〈エピソードⅠ〉ナナの台詞)未完成の会話、あるいは中身が皆無の純粋に形式的なだけの会話なのである。これは、内容に富み、形式すらも内容によって導かれている会話のシーン、すなわちその直前の〈エピソードⅪ〉と対比されることで尚更に際立っている。全部で13の断片的な挿話的エピソードによって構成される『女と男のいる舗道』おいて、〈エピソードⅪ〉はもっとも哲学的で知的な時間であり、それと同時に、ある意味ではもっともスペクタクルの形式(すなわち、多くのハリウッド映画が採用する音声による会話の連続のみで物語が進む形式──ゴダールはハリウッド的な「映像に従属した音声」について常に犀利な意識を向け続けている*1)が強められた箇所である──哲学的深長さを含んだ内容とスペクタクルの形式とは、もっとも相反する組み合わせの一つであるのだが。『女と男のいる舗道』についてのコメンタリーとして最も有名なもののひとつであるスーザン・ソンタグのエッセイも、映画の惰性としての音声=会話について次のように述べている。すなわち、「無声映画では言葉は演技者の演技か、さもなければ会話についての説明のいずれかでありえたが、トーキーでは、言葉は(ドキュメンタリーを例外として)ほとんどもっぱら、いや、まったく圧倒的に、会話だけになった」(スーザン・ソンタグゴダールの『女と男のいる舗道』」, 『反解釈』海老根宏ほか訳, 筑摩書房, p. 320)。

 

それに対して〈エピソードⅫ〉においては、音声と映像は一度も同期されず、音声と映像のモンタージュが展開される。青年が読み上げるのはポーの作品『楕円形の肖像』であり、それはあたかもそこに映し出されるナナとルイジ二人についての話のようだが(ルイジは現に「私達の物語だ」とささやく)、しかし二人とはまったく無関係だ──音声と映像が無関係なように。朗読が一区切りしたところでようやく訪れる恋人たちの会話には、けれども音がない──「愛の言葉は音声としてはまったく聞こえてこない」(ソンタグ, op. cit. p.320)。やがてなにもかもを覆い隠してしまう「愛してる」ということばの交換──寸前には、「美術館なんか退屈さ」というルイジと「芸術 美 それが人生!」と言うナナの不穏なすれ違いがあったのに。ルイジは、ナナの人生を退屈だと言ったのに──「愛してる」。

 

「なぜ話をするの?」──ここまでくるとこれが主人公ナナの切実な問いであると同時に、この映画自体の、あるいはゴダール自身の切実な問いでもあることが理解できるだろう。言葉は愛のようなものである、言語哲学者ブリス・パラン(彼は実際にゴダールが哲学を学んだ師である)は言う。存在そのものが愛のようである言葉が「愛してる」というのは、だからあんなにわざとらしく、誤りや嘘となりやすいのだろう。〈エピソードⅪ〉は、従って、ナナの内面の吐露であるようにみえて、それは映画そのものについての会話でもあるのだ。

 

 NANA:何も言わずに生きるべきだわ 話しても無意味だわ 

PARAIN:人は話さないで生きられるだろうか

 NANA:そうできたらいいのに

PARAIN:いいだろうね そうできたらね 言葉は愛と同じだ
       それ無しには生きられない

 NANA:なぜ?言葉は意味を伝えるものなのに 人間を裏切るから?

PARAIN:人間も言葉を裏切る 書くようには話せないから
       だがプラトンの言葉も私たちは理解できる
       それだけでもすばらしいことだ
       2500年前にギリシャ語で書かれたのに
       誰もその時代の言葉は正確には知らない でも何かが通じ合う
       表現は大事なことだ 必要なのだ

 NANA:なぜ表現するの? 理解し合うため?

PARAIN:考えるためさ 考えるために話をする それしかない
       言葉で考えを伝えるのが人間だ

 NANA:難しいことなのね 人生はもっと簡単なはずよ
       「三銃士」の話はとても美しいけれど 恐ろしい

PARAIN:恐ろしい意味がある つまり・・・
       人生をあきらめた方がうまく話せるのだ 人生の代償

 NANA:命がけなのね

PARAIN:話すことはもう一つの人生だ 別の生き方だ 分かるかね
       話すことは 話さずにいる人生の死を意味する
       うまく説明できたかな
     話すためには 一種の苦行が必要なんだ
       人生を利害なしに生きること

 NANA:でも 毎日の生活には無理よ つまり その・・・

PARAIN:利害なしに? だから人間は揺れる 沈黙と言葉の間を
       それが人生の運動そのものだ
       日常の生活から 別の人生への飛翔
       思考の人生 高度の人生というか
       日常的な無意識の人生を抹殺することだ

 NANA:考える事と話す事は同じ?

PARAIN:そうだと思う プラトンも言っている 昔からの考えだ
       しかし思考と言葉を区別することはできない
       意識を分析しても思考の瞬間を言葉でとらえているだけだ

 NANA:嘘をつきやすいこと?

PARAIN:嘘も思考を深める一つの手段だ
     誤りと嘘の間に大きな差はない
       もちろん日常的な嘘は別だよ
       5時に来ると言って来ないのはトリックだ
       微妙は嘘というのは ほとんど誤りに近い
       何かを言おうとして 言葉が見つからない
       さっき君が言ってたことがそうだね
       言葉が見つからないことへの恐怖

 NANA:言葉に自信が持てる?

PARAIN:持つべきだ 努力して持つべきだ 正しい言葉をみつけること
       つまり何も傷つけない言葉を見つけるべきだ
       傷つけない・・・ 殺さない・・・

 NANA:つまり誠実であることね
        ある人が言ってたわ "真実は誤りの中にもある"って

PARAIN:その通り それがフランスでは理解されなかったことだ
       17世紀には人は誤りを避けることができると
       信じた者もいたが・・・ 不可能なことだ
       なぜカントやヘーゲルなど ドイツ哲学が生まれたか
       誤りを通じて真実に到達させるためだ

 NANA:愛については?

PARAIN:大事なことは 正しい思考と判断の原理
       ライプニッツの充足理由律 永久真理に対する事実真理
       日常的人生 そういった考えが ドイツ哲学で発展した
       現実は矛盾も可能な世界として認識されうる 本当だよ

 NANA:愛は唯一の真実?

PARAIN:愛は常に真実であるべきだ 愛するものをすぐ認識できるか
       20歳で愛の識別ができるか できないものだ
       経験から ”これが好きだ” と言う 曖昧で雑多な概念だ
       純粋な愛を理解するには 成熟が必要だ 探求が必要だ
       人生の真実だよ だから愛は解決になる 真実であれば

 

ジャン=リュック・ゴダール女と男のいる舗道』〈エピソードⅪ〉より)

 

数年前、大学のゼミで「エッセイ」の課題がでた。これはそのまま卒業論文の動機となるものであったため、先を見越しながら、かつ400字というそれ以上でもそれ以下でもない厳密な字数制限をクリアして書かなくてはならない課題だった。この毎年恒例の課題が発表される少し前から、私は突然ものを書くことができなくなっていた。今思えば、明らかにそれ以前から続いていたうつ状態がさらに深刻化していった徴候であったが、とにかくこれはひどく恐ろしい現実であった。いかなる文章であっても、綴ろうとするとどうしてもことばがでてこない。時には会話にすら支障をきたしていた。そしてなにより、ものを考えることができなくなっていた。なにかについて考えようとしても、その一秒後にはその「なにか」が頭のなかで霧のように分解され、跡形もなくなってしまうのだ。それが何十回、何百回と続き、私はますます気分が悪くなった。なにかを考えることができないというのは、存在そのものの破綻を意味するということを、ほとんど狂気の内に感じた。

 

しかし、課題となっていたエッセイについて、私はどうしても書いておかなくてはならないと感じていた。それは課題であったからではなく、この書くための機会を棚上げしてしまったら、私は今後一切なにかを考えたり書いたりすることができなくなるような気がしていたからだった。とは言え、ひとつの文章すら書き終えられないのに、400字という字数は絶望的な苦悩以外のなにものでもない。後にも先にも行けなくなった私が最終的に下した判断は、いわゆる「引用」あるいは「モンタージュ」という方法だった。自分で書くことができないので、部屋のある特に気に入っている本をすべてひっぱりだし、その本からことばを抜き書きし、400字をぴったり埋めた。ゼミの教官は、それをみて「ジョイスのようだ」と言ってくれたりしたが(彼はゼミ生にとって父親のような存在なのである)、もちろん、それはつぎはぎだらけの文章で、まったく意味が通ってない。よく言えばジョイス的な現代詩だが、私はそれを狂気の形象化だと思った。

 

この時私の精神的吃音をもっとも救ってくれたのが、他でもないジョルジョ・アガンベンの短いいくつかのエッセイと、ゴダールの映画であった。このふたりの優れた文化人については、彼らの仕事が徹底的に言葉の文法や思考の論理に基づいているものでありながら、同時にそれらのなかには収まらない異質なものがその作品から横溢している、という唐突な確信を私はいまでも固持している。『女と男のいる舗道』には、あのときのエッセイに入れ込んだ言葉がいくつかあったったはずである。そのことばを探り当て、拾い集めるために、私は作品に埋め込まれたストップアンドスタートの連続をさらに自らの手で拡張し、映画をぶつ切りに粉々にしながらみた。まるで映画の裏側や内側をみようとしているかのように。それほどまでに執拗に見たはずの『女と男のいる舗道』を、あれから数年後のいま改めてみると、しかし、そこには私が見知っているものがほとんどなにもなかった。私はいったいこの映画のなにを見ていたのだろうか──あのときの私はまるで目をとじて画面をみていたかのようだ。見るというのは、確かに、記憶よりも忘却と結託するのだ──つまり、隠蔽記憶。見たことは忘れることによって、意味となり、見ることの主体の人格となるようである。私は、かつて見たこの作品を判別できないほどに、それを自分の人格としているのだ。Vivre sa vie!

 

 

 

*1:映像と音声が動画のなかでシンクロしている(映像に従属する音声)というのは、トーキー以後のことであり、それは映画をはじめとする映像作品にとって必ずしも当然自明なことではない。むしろ、トーキー以降は音声と映像を(どちらかがどちらかに従属するというのではなく)等価なものとして捉えるべきであるという主張が度々なされている。あるいはこれを、映画における映像の自律性の問題、あるいはまた他の芸術様式に対する映画の自律性の問題と呼ぶことができるだろう。

閑話休題。話は変わるが、美術史においてクレメント・グリーンバーグのモダニズム絵画批評以来、「芸術の自律性」ということが、ある種の痼りのように今でもあちこちで言及されている。そしてそれは、ほとんど必ずと言っていいほど、それを発した研究者たちを吃らせるのである──芸術と自律ということを誠実に考えれば、「芸術の自律性」という晦渋さの後にはあらゆる論述を一度は破棄するしかない。この話を改めて思い出したのは、ほかでもない、STAP細胞と割烹着(報道)の是非についてのいくつかの物言いに触れたからである。この場合、少なくとも二段階(1. 研究やその成果に直接関係のない研究者についての個人的な報道は必要か、2. 科学的研究とその結果において研究者のパーソナリティーはどこまで関与するか)に分けて考えなくてはならないだろうが、問題の核にあるのは取りも直さず「科学の自律性」であると考えられる。無論、あらゆる科学的研究はサイエンティフィック・メソッドに沿った客観的で反復可能という科学の大原則のうちにあり、そこにおいて研究内容の自律性は十分に保証されなくてはならない。しかしながら外部の人間が、研究内容を知るというのは、なにも専門用語や研究を(かみ砕いて)解説把握するということだけを意味するのではないだろう──たとえば文学研究のモノグラフにおいて、テクスト理論にそった作品解釈と平行して作家の伝記的要素が言及されることはめずらしくない。そのような非科学的要素の介入が科学において文学や芸術ほどに意味のあることか否かはケースバイケースだろうが、それでも今日特に文理問わず研究の現場が財政面からの影響に左右されやすいという点でだけとってみても、研究者の伝記的背景が研究内容の成立に無関係ではないことは明らかである。つまり、研究内容以上にキャッチーな研究者の個人情報を報道するということは、(特に研究者側にとってみれば)難しい研究内容──世界水準の研究を数分、数秒の報道にのせるのは殆ど不可能だし、時間的な制限のみならずそれに関する本一冊読んだことのない人々に少しでも込み入ったことを伝えるのはかなり難儀だということは想像に難くない──だけを伝えられるよりも、もしかすると限られた時間のなかで自分たちの研究に少しでも感心をもってもらえるきっかけとなるものを伝えられるほうが、将来的な研究費用の拡大や研究機会を得やすくするのに役立つのではないかと考えているとしても不思議ではない(このことに関しては、クマムシ博士のむしブロを参照:STAP細胞と小保方さんは日本を変えうる - むしブロ)。研究者にとってみれば、大衆メディアを通した報道から得られる利点はおそらくそのようなことが限界であるように映っているのだろうと、個人的には考えている(とはいえ、野次馬的に行きすぎた個人情報を流出するのは論外である)。このように考えると、問題の所在を割烹着やピンクの壁しか映さない報道のあり方に定めてそれを問責していてもまったく意味がなさそうである。代わりに、スクリーン(テレビ画面やPCブラウザ)を見ている間はなにも見ていないのだし、スクリーンの裏になにかあると思ってもそこには何もない、と繰り返したゴダールの話が必然思い出される。「彼[ゴダール]が映画を──そしてテレビを──批判するのは、「見る」機能をないがしろにしてしまったからである」(梅木達郎「映画と盲目性 : ゴダールにおける不可視なもの」, 『 国際文化研究科論集 8』東北大学大学院国際文化研究科言語機能論講座, 2000, p. 33)。私たちはテレビに映し出されたものに関しては、見るということで大方満足してしまう。「見た」という現実が、それ以上のことを「見えなくさせる」のである。割烹着のことしか知らなかったり、それしか知る材料を与えてくれない報道に文句があるのは、割烹着以外のことがそこにある──ないわけがない──ということをちゃんと「見ていない」からではないか。主体はあくまでもテレビ画面ではなく見る人のほうにある。それゆえに見る人間たちは、画面に映された映像を見ることよりも、その先で自らの内に沸き上がる知的好奇心を十分に育てることが重要なのではないだろうか。それは他ならぬ「見る」責任(自分自身に対する責任)なのである。

「ここで重要なのは、スペクタクルの提供が、「見ることの役に立たず」、むしろ「見ない」ためにある、というゴダールの告発である。もしもトーキーが、テレビが、スペクタクルが、商業映画が「見ないこと」の側に位置するのであれば、それらは盲目をつくり出すといわねばならない。むろん人々はなにかを見るために映画館にやってくる。だがそれはなにも見ないで済ますために、たとえば「強制収容所」というものから目をそむけるために、つまり「現実」というものに盲目になるたためであるかもしれないのだ。スペクタクルとともに盲目性が回帰してくる。だがそれは、映画に目が眩んだものの、映像を見つづけることによってもたらせる盲目である」(梅木, op.cit., p. 35)。またゴダールはテレビをして「独裁者」と呼んでいる箇所があるのだが(ジャン=リュック・ゴダールゴダール映画史』奥村照夫訳, 筑摩書房, p. 188)、これに関してはインターネットが張り巡らされて以降、それによって多少なりとも変質しているテレビ事情を加味すると、単に「独裁者」という譬喩は必ずしも正確であるとはいえないように思う。

家族の在処: Reconnecting laws to the systems

 

ここ数週間、400mgまで増やしたセロクエルを毎夜服用するようになってから、生活の主導権が完全に私の意思から眠りへと移っている。それまでしてでも身体や脳にまずは休眠を与えたいという主治医の方針に同意した上とは言え、増薬の引き金となった深い抑うつ状態に加えて、それと同等程度に深重な人工の眠気を飼い慣らすには、もうしばらくの忍耐と訓練とが要るようである。

 

まるで意思の断末魔の叫びように、粘度の高い一日の合間を縫って「日本版変愛小説」を謳った岸本佐知子編「変愛小説集」が収められた「群像」2月号からいくつかの掌編を読んだ。恋愛ものなんて随分久しぶりだと思ってページを開いたが、そこには久しぶりのはずの恋愛物語はひとつもなく、むしろどことなく馴染みある世界がしまわれていた──私がここしばらく読む機会を得ていないのは、恋愛ものではなくハーレクイーンものであった。それから、ほかに読むべき本と、そしてなによりとるべき療養が一山も二山もあるために買うつもりはなかったはずなのだが、「國分功一郎プロデュース」の文言につられて買ってきた「現代思想」2月号キルケゴール特集をぱらぱらと捲った。そして巻頭の信田さよ子氏(以下敬称略)による連載「依存症をめぐる臨床」第14回に目を通した。

 

信田さよ子「病気の免責と暴力の責任」(「現代思想=特集キルケゴール青土社, Vol. 42, №2, 2014, pp. 8-13)は、数ページの短いテクストだが、戦争という国家暴力とDVと呼ばれるようになった家庭内暴力との関連、暴力が国家と家族の共謀関係にうちに隠匿されているという指摘、そして家族を語るときに用いるべきモデルとはなにかといった議論は、DVを抱えた家庭のみならずより一般的に機能不全に陥った家族──すなわち、存在するすべての家族──について鑑みるときに検討すべき点として参考になった。少し長いが、以下に一部を引用する。

 

少しずつ地殻が変動していくように、DVという名前をめぐって記憶の再構成が起きるに伴い、アルコール依存症の妻たちは実はDV被害者でもあったという確信が生まれたのである。このことは大きなパラダイム転換を意味していた。七〇年代から始まるアルコール依存症とその家族とのかかわりにおいて、それまでの私が依拠していたのは疾病モデル(アルコール依存小は病気である)と、家族システム論であった。病気の夫をとりまく家族をシステムとして把握することで、機能不全家族という視点とともに全体が見渡せたかのような錯覚に陥っていたのである。/しかしDVという名づけを適用することは、そのいずれでもないパラダイムの世界に漕ぎ出すことを意味した。アルコール依存症という疾病モデルから加害・被害という司法モデルへのパラダイム変換であり、均衡モデルに基づくシステム家族論から闘争モデルへの変換である。システム論の前提となっている均衡や統合性そのものが、暴力という定義の前では無効化されてしまうからだ。暴力は必ず加害・被害という関係性を生み出し、それは統合を前提とする家族には相容れないものである。/暴力という言葉は、公共圏(市民社会)においては禁止され犯罪化されるものとしてとらえてきたが、国家と家族においては容認されてきたのではないだろうか。相変わらず世界各地で戦闘は起きているが、それが裁かれることはない。家族も同様で、被害を受けた(と周囲からは定義される)人が警察に告訴しない限り裁かれることはない。これを「国家と家族の凶暴関係」と呼ぶこともできよう。/二〇〇一年にいわゆるDV防止法(配偶者からの暴力の防止及び被害者保護に関する法律)が制定され、各地のDV相談機関では当たり前のように「DVは犯罪です」というキャッチフレーズが用いられるが、これがどれほど恐ろしいものかについて無自覚であるように思われる。DVや虐待を名づけ定義づけることを恐ろしいと言っているのではなく、それ自体がもたらす家族観の転換、つまりシステム論的な、統合的家族観からの脱却がどれほどシビアであるかを自覚しなければならないと言いたいのだ。家族とは、殺害や障害が起きる可能性を含み、命を守るためには時には脱出しなければならない関係であるということは、家族への美しい幻想と最終的安全基地としての期待を放棄することを意味するからだ。

 

信田さよ子「病気の免責と暴力の責任」Op. cit., pp. 10-11)

 

上記にある通り、この論文の争点は、私たちが問題となっているある家族を理解する際に「システム家族論に基づく疾病モデル」(原因と結果と治療)に依拠して家族を捉えるのか、あるいはまた「司法=闘争モデル」(出来事と加害者と被害者)によって家族を考えるのかという点にある。戦後からずっと大勢であった前者(システム論+疾病モデル)における家族観*1に代わって、ここ10年余りは後者(司法=闘争モデル)が大々的に用いられるようになった。そこには、この新しい家族論モデルがそれまでは慣習に埋もれて問題にすらならなかった家庭内暴力の告発という機能と目的を担っていたという背景がある。DV夫から妻や子を守るという点に関して、家族を司法=闘争モデルによってみること、すなわち家族という場を生存を賭けた闘争の場として見立て、生きるためには闘い、場合によってはそこから逃げる必要がある場所として理解するということはそれなりに有効であってきたようである。

 

しかし、信田の指摘にあるように、司法モデルに基づいて家族を「闘争」概念によってみるとき、それまのシステム論が必ず担保していた「家族への美しい幻想」と「最終的安全基地」としての理想的家族は必ずや捨象されることとなる。朝に出かけていくより広い社会も闘争の場であり、仕事や学校を終えて帰る場もまた別の闘争の場となる。司法=闘争論は、一見するところ国家による暴力と結託し隠蔽されてきた家庭内暴力をDVということばによって啓蒙・摘発し、それによって女こどもを暴力から守っているかのようにみえる。けれども視点を変えてみれば、そのような議論は社会のなかに闘争の場を拡張し、闘争から逃れる場をこそひとびとから奪う、目にみえない高次のレベルでの暴力産出機械であるようにも思われる。つまり、そのような観点からすれば、司法=闘争モデルで家族を考えるということは、それ自体が新たな暴力の誘導体となり得るということである。

 

家庭内暴力をいつまでも温存してしまう可能性のある「家族システム論疾病モデル」と既述のような矛盾を抱えた「家族司法=闘争モデル」に対し、信田の議論はここ数年、無意識的に人々にすり込まれながら拡大する後者の危険性を訴えるものとなっている──「[司法=闘争モデル]それ自体がもたらす家族観の転換、つまりシステム論的な、統合的家族観からの脱却がどれほどシビアであるかを自覚しなければならない」(信田, op. cit., p. 11)。なぜならば、この転換は家族を「殺害や障害が起きる可能性を含み、命を守るためには時には脱出しなければならない関係」として捉えることであり、そのような家族のあり方は必然的に「家族への美しい幻想と最終的安全基地としての期待を放棄することを意味する」からである*2

 

私にはどちらの家族モデルがより有効なのか、それを判断し主張するまでの十分な知識や経験が未だ備わっていない。しかしながら、注意しなければならないと感じる点はある。それは簡単に言えば、このような議論がいつも簡単に「AかBか」という議論にすり替えられてしまうということである。問題は、提起されているようにみえる選択肢のなかから一つを選ぶ(そしてその理由をまったく正当であるという風に述べる)ということではない。そうではなくて、問題として上がっている事象を、別の次元へと転換、あるいは移行させることが重要なのである。なにかについて語ろうとする私たちは、そのことをひどく簡単に忘れがちではないか。ここは司法の現場ではない。真理の探究を忘れた、勝ち負けの勝負はくだらないし、正しさが議論の勝ち負けによって決定されるなど、あまりにも馬鹿げている。

 

そんな折、冒頭のキルケゴールが手伝ってか、國分功一郎先生のブログを思い出した。私が特に愛読しているエントリーのうちの一つ、それは東日本大震災から間もなく書かれたもので、次のようなことが記されている。

 

この前の日曜日、2011年3月27日付け東京新聞朝刊に  「哲学者」内山節氏の「システム依存からの脱却」というエッセイが載っていた(…)。   内山氏によれば、  わたしたちは「さまざまなシステムに依存して暮らしている」。ところがその「システム」は何らかの想定の範囲内で維持可能なように設計されている。原子力発電もそのひとつで、「これ以上の地震は発生しないという想定にたってシステムは設計されていた」。だがここ数年に世界で起こっていることは、市場システムにせよ、年金・社会保障システムにせよ、そうした想定が人間の思い込みに過ぎなかったということである。これが内山氏の議論の骨子である。

ここから彼は次のように結論する。想定に基づいたシステムは、想定外の事態が起こると崩壊する。「それに対して、支え合い結び合う人間たちの働きは、どんな事態でも力を発揮する。とすると未来の社会は、どんな方向に向かうべきなのか。それはシステムに依存しすぎた社会からの脱却であろう。私たちに求められているのは、人間の結び合いが基盤になるような社会の創造である」。

俺はこういう「システム」という語の使い方に大いに疑問を持った。正直言って、いま、内山氏のように「システム」という語を悪役に仕立ててものを考えるひとはそんなにはいないとは思うが、とはいえ、「システム」はダメで、「人間の結び合い」がいいという考えはダメだし、矛盾していると思う。なぜかといって、「人間の結び合い」もシステムだからだ。

こう言ってもいいだろう。システムにはいくつか層があって、インフラ(下位)のシステムによって  「人間の結び合い」が支えられ、「人間の結び合い」自体が  一つの上位システムを構成する。  俺は「人間の結び合い」の重要性を否定したいのではなくて、(というか、「人間の結び合い」が何より大切だと思っている)「人間の結び合い」はいくつものシステム(インフラ)によって支えられた一つのシステムなのだから、システムをそれを対立させるような仕方は結局どこにも存在しない「人間の結び合い」をただひたすら妄想することに至ってしまうと思う。

そうじゃなくて、新しい「人間の結び合い」のシステム、それを支える新しいシステムが必要なんじゃないのか?

 

〈計画停電の時代〉を生きるための制度を創造すること|Philosophy Sells...But Who's Buying?

 

 

続いて次のようなことが述べられている。かつて子育ては地域がやっていた、そしてそのような地域では老人が尊敬されていた──そういうノスタルジックな語りに登場する人間たちについて、そういう地域社会はなにも自然発生的に生まれてきたのではなく、そこにはちゃんと社会システムが用意されていたのだという。そしてそのシステム──1. インフラとしてのシステム、2. 人間関係のシステム、3. 複数のシステムを内包した社会というシステム──に則って、人間たちは結び合いを保っていた。だとすれば、「「システム」と「人間の結び合い」を対立させるというのは少々お粗末ではないか」。つまり、ここでの議論に置き換えれば、「家族システム疾病論」と「家族司法=闘争論」の対立させるというのは少々お粗末ではないか、という自然な疑問がうまれる。

 

ここで改めて気づかされるのは、司法=闘争論がほかでもなく「人間の結び合い」、闘争という形式の結び合いであるということである。だから、司法=闘争論に基づいて家族をみている限り、そこにある結び合いは「いかなる闘争か」という問いの中でのみ議論可能で実現可能なものとなり、それが闘争という理念に則している以上、終わることがない。おそらくそこではあらゆる関係が禁止事項に基づいた勝ち負けに収斂していくだろう──結び合いは闘争のスタイルの多様性を保証するためだけに使われていくだろう。法的な繋がりのなかにあるものの不自由さは、統制されているものがトップダウンの権力に従って動くことを決められているために、それ以上自ずから思考し動くことが困難となるという点にある。つまり、現実が真逆のものへと転換する余白がそこには織り込まれていないのだ。

 

一方、システムとは言い換えれば「制度」のことである──制度論はドゥルーズ哲学の中核を成すものである。それについてドゥルーズ研究者である國分先生は次のように端的に述べられている。「簡単に言うと、制度という語は(…)法に対立して用いられています。法が行動を禁止するもの、消極的なモーメントであるのに対し、制度は行動のモデル、積極的なモーメントです。社会は制度によって成り立っている。伝統的な哲学では、いつも社会で一番最初にあるものとして法を掲げますが、そうではなくて最初に制度があって、その後で法が来るのではないか」。司法=闘争論は、明らかに消極的なモーメントの連続である──ゆえに余白がないのである。反対に、(十分に制度化されていないかもしれないが)制度論としての「家族システム論」は、「積極的なモーメント」によって構成されている。そして、上記の引用のように法もまた制度の成果であるとするならば、家族システム論が司法的な家族闘争論の担っている役割(DV告発防止)に変わる法を生み出すことができるかもしれない。生成変化のための余白が十分に担保されたセオリーとして、これまでの家族システム論を(そして同時に疾病治癒の方法論を)読み直すことができるのかもしれない。

 

制度論から家族をみれば、家族という囲いを破るような点──ドゥルーズ=ガタリが lignes de fuite(闘争線)と呼んだ、あの窓ガラスに入ったヒビのような──が自然と組み込まれていると考えられる。そのような留意とともに押し広げられる家族の制度論的再考*3が、司法=闘争論が担ってきたDVの摘発・発見に変わるものを家族システム論的議論に見出していくことができれば、司法=闘争モデルを制度論上の過渡期として位置づけることも可能だろう──これは、ドメスティックな問題からナショナルな問題にいたるまで、そこにある暴力をもう一つの他の暴力を用いるのではない方法で、別なものに転換する可能性である。社会的視座のみならず、近代自我にかんする哲学的な問題や精神医学的議論の地平にも、このような視点は十分有効であるだろう。すなわち、家族(メンバー)を非難するある個人が、すべからくその家族を作り上げているものの一部であるという最大の矛盾を、個と社会を越境する制度という概念を用いれば難なく突破できるかもしれない*4。思えば、精神某の実存主義的理解や反精神医学でも知られるイギリスの精神科医R・D・レインもまた「内化されるのはシステムとしての家族です」*5と述べていた。つまり、

 

「システムから脱却することが必要なんじゃなくて、新しい経済システム 新しい社会システムが必要なんです。」

 

 

 

 

*1:これは例えば、家族の構成員すべてがそれぞれに担う役割があると考え、それが正しく遂行されることによって健全な家族が成立するという考えである(システム論)。さらに、もしその家族がDVなどの問題を抱えた場合には、そこに疾病モデルによる理解が加えられる。例えば、家庭内のなんらかの問題の原因を「病気」として理解することにより、その病気を抱えた構成メンバー(たとえば、アルコール依存症の父親など)に対して疾病治療が行われ、それによって家族の機能不全も徐々に回復すると考える。若干ならずとも楽観的過ぎるモデルのように思われるが、このシステム論と疾病モデルが基礎とする家族観は、構成員の排除という家族存続を賭けた最終手段に向かう前にいくつもの対処法を思案するという強度があり、暴力排除のためならば手段を選ばないという極端な方法に至ることが少ないという点では、未だに有効な点もあると思われる。

*2:なんらかの家庭の事情を抱え続けたがゆえに、「家族への美しい幻想など持ったことがない」「家族など百害あって一利なし」と考えているひともあるだろう。しかし、家族を司法=闘争モードによって捉えるということは、なにもこれまでに構成員であってきた家族を闘争の場と見なすだけではなく、これから築いていくかもしれないすべての家族を闘争の場としてゆくということを意味しているのである。これはこれから結婚をしていく人たちに対する介在であるのみならず、そのまま、これから生まれてくる人たちの社会──一般に、家族は最初の社会である──に対するヴィジョンの生成にも関わるものである。プリミティヴな社会は、必然的にいずれ社会一般を意味するようになるだろうし、それは潜在的に、社会における闘争の無制限の拡張を意味し、おそらくは全人類が常に闘争モードで生き続けることを強いる暴力の伝播拡大をも含意する──その場合、あの反戦の声はどこへいくのだろうか。信田が「どれほどシビアであるかを自覚しなければならない」と警鐘をならすのはそのような視野も含んでのことと考えられる。

*3:すなわち、まったく新しい家族システムの考案と実現である。具体的にはたとえば、家屋や都市の設計をはじめとする公共空間の再構築、幼稚園や学校を中心とする教育システムの見直し、そしてITなどの通信技術の利用を通したコミュニケーションの再検討などがあげられるだろう。

*4:たとえば、ロナルド・D・レインは、その家族論において次のように述べている。「家族は、家族外のかれらと対照的に、共通の一つのわれわれなのです。(…)このようなわれわれ家族の場合、われわれの一人一人が自分自身の内なる家族統合を認知するのみでなく、あなたの内に、彼の内に、彼女の内に、比較可能な同種の家族統合が存在することを期待しているのです。私の「家族」は彼ないし彼女の「家族」を包含しており、彼と私の「家族」です。この(かっこづきの)「家族」はその成員のおのおのによって共有される単一の社会的対象ではありません。「家族」は関係セット中の諸要素の一つ一つのなかに存在しているのであって、そしてそれ以外のどこにもないのです」(R・D・レイン「家族と「家族」」, 『家族の政治学』 阪本良男/笠原嘉訳, みすず書房, 1998(1979), p. 10)。また、「もし自己が「家族」の、つまりメンバーによって共有される一つの構造であるところの「家族」の統合性に依拠しているとすれば、そのときには自己の統合性はこの「家族」を他者と分かちもつ構造と感じる度合いに依存していることになります。ひとは、他人の「なか」にこうした「家族」構造が統合されているのを想像できる時、安心するのです」(R・D・レイン「家族と「家族」」, Op.cit., p. 23)。

*5:「内化されるのはシステムとしての家族です。要素と要素の間の、また一連の要素と一連の要素の間の諸関係と諸操作が内化されるのであって、孤立した要素が内化されるのではありません。要素は人であることもあれば、物であることも、部分・対象であることもあります。両親が内化されるとしたら、親しい関係にある両親もしくは疎遠な両親として、二人一緒か別々の存在として、近いか遠いか、愛しあっているか相争っている両親などとして内化されるのです。(…)各々の家族成員は、彼らが自分たちの内側に家族をもつと感じる程度に応じて、そしてまた他の家族成員が内部にもつもつ家族を特徴づけるところの一連の諸関係の内側に自分たちもいると感じる程度に応じて、家族の部分あるいは全体の、内側あるいは外側に、より多くあるいはより少なく、いると感じるのです。/内化された家族は一つの時間・空間系です。「近く」あるいは「遠く」、「一緒に」あるいは「離れて」あるとして内化されるのは空間的関係だけではありません。時間的な継起もまたつねにそこにあります」(R・D・レイン「家族と「家族」」, Op. cit., pp, 8-9)。

雄鶏のパレード


今朝は病院があったのだが、体調が悪く外出困難が続いたために延滞しまくっていた図書館の本を返したくて、今日は予約時間よりずっと早く、朝7時を回った頃に大学へ向けて家を出た。キャンパスまでの道のりで大勢の人々とさわやかな気分を共有できるほど心身に余裕があるとは思えず、また昨晩眠る前にコップ二杯の水と飲み込んだ16錠と3袋の薬剤や、朝目覚めた瞬間から感じた肩や背中の痛みからもそれは明らかだった。

 

 早朝故に、キャンパスの周辺に来てもまだ人影もまばらだった。ここまで来ることができた安心感も手伝って、私がいつも使っている門が見えるころになると、ようやく暖まった大胸筋や僧帽筋も緩んできたのを感じた。自然、穿いている皮のブーツが刻む足音もより軽快に、より早くなった。はやくまたこのステップに復帰したいなぁ……と、下を向いていた顔を上げると、なにか自分に併走しているものの気配を感じた。もうすこし頭を上げて、左右を確認しようとしたとき、鶏がいた。併走していたのは、雄鶏だった。

 

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この街の鳥はなぜか突然に現れる。一月ほど前に某寺院の横を歩いていたときも、突如名前も知らぬやや大きめ(約1メートル程)の鳥と目があった。その鳥も、垣根の上をゆっくりと歩いていた。街の東側を流れる川沿いを歩けば、そこはいつも鳥たちの遊び場だし、第一、川の名前には魚ではなしに鳥の名前が付けられていてる。「ここでは古来より、人に化けた狸と天狗が、人間に紛れて暮らしていた」*1らしいから、この鳥たちも金曜倶楽部の鍋の具にでもなるのだろうか。いやはや。

 

ちなみに、今朝の雄鶏が悠々と朝の散歩を楽しんでいるのは、某学生寮の敷地である。カルチェラタン*2よろしくのこの学生寮は、バラ色のキャンパスライフの夢にのみ込まれてはループのうちに幽閉される「私」の神話の聖地だが、鶏だけではなく、大量のお猫さまはもちろん、ヤギやウサギ、エミューもいる。多分、私はよく知らないがほかにもいろんな動物が飼育されている。夕方キャンパスを歩いていると、そのへんの誰かが鳴いている声が聞こえる。そして、猫や犬を除く可食動物は、みないずれ屠殺される(リアルフライデークラブである)。つまり、寮生たちが食べるために飼育しているのだ。(寮生がヤギを散歩につれてきては図書館横の草を餌にするので、私の友人が大変怒っていた。彼はこの寮に対して一貫してアンチなのだ、もちろんヤギだけの問題ではなく。)なにがともあれ、明らかにここは小学校時代の飼育係が最大限に生かされている現場である───それもまた功罪というべきか。

 

文化的価値はさておき、この寮の存続自体にはかなり激しい賛否両論がある。さらに言えば、寮内の内部紛争もなかなか烈々たるものがあり、必然的にそこには無法地帯のような空気が漂っている。政治的な特色および歴史はもうひとつの某寮ほどは色濃くないためか、定期的に突然機動隊が入るようなこともないようだが、それにしても警察沙汰にもならず(なっているのかもしれないが)政治の季節よりはや半世紀以上の時を存続してきたということは、それだけで新たな憧憬を生み新しい入居希望者も後を絶たないようである。

 

風間俊 

「きみたちは保守党のおやじどものようだ。学生なら堂々と自己の心情を述べよ!」

「古くなったから壊すというなら、君たちの頭を打ち砕け!」

「古いものを壊すということは、過去の記憶を捨てることと同じじゃないのか!人が生きて死んでいった記憶をないがしろにするということじゃないのか!新しいものばかりに飛びついて、歴史を顧みないきみたちに、未来など、あるか!少数者の意見を聞こうとしないきみたちに、民主主義を語る資格はない!」

 

(「コクリコ坂から」より)

 

 

疲労というのは身体にも脳にも神経にも精神にも起こるらしいが、本当に疲れているとき、身体も脳も神経も精神も、すべて一緒くたになってしまいどれがどこの疲労なのかまったく判断がつかない。古いものを未来へ残すというのもまたそれと同じようなもので、なにかを残すということは、その良い点も悪い点も渾然としてよくわからないままにすべて引き受けて後世へ託していくということである。良し悪しは、その時々の恣意的な判断に過ぎないとしても、残したからにはより多くのひとを巻き込みながらなんらかのかたちでそれを引き受けなくてはならない。古い物を継承するということは、新しいものに飛びつくのと少なくとも同じ程度には、無責任な楽観によって支えられているように思われるのだった。

ともあれ今日は、そんな鶏から朝が始まった。

 

 

 

 

*1:アニメ「有頂天家族」より。

*2:映画「コクリコ坂から」より。

されど、死ぬのはいつも他人


学部時代の恩師は、よく彼の幼い頃の出来事について言い及んだ。それはある夜、布団にくるまる小さな彼をふと突然に「死」という概念が襲い、眠りどころか彼の小さな世界全てを錯乱に陥らせては、ついには彼を生きていられないほどの恐怖に引きずり込んだという話であった。

 

私は恩師がいつも情感たっぷりに話すこの話を聴く度に、叔母のことを思い出していた。彼女は、今に至るまで私にとって一番ミステリアスな親族であるように思う。背が高く、切れ長の目に、品のある声。もうひとりの叔母、つまり彼女の妹がいくつになっても明け透けで若々しいのとは反対に、祖父母のどちらにも似ていない印象を与える叔母は、優しく微笑みながら私の名前を呼んでいるときでも、その瞳にはいつもある種の悲しみのようなものが感じらるような人なのだ。私の従妹にあたる彼女の娘が先頃こどもを生んで、叔母ももうお婆ちゃんになったのだが、昨年会ったときに見かけた手慣れた様子で孫をあやす叔母の姿の奥深くには、何年経っても少しも濁ることないあの優しい悲しみが見て取れた。

 

祖母と一緒に暮らしていた時分、話の流れで何度か叔母がまだ幼いある夜に「眠れない」とほとんど泣きながら、祖父母の寝室を訪れたという話を聞いた。訊けば、「人はどうして死ぬの?」「死ぬのが怖い」と言って、幼き叔母はさらに涙を流して泣いたという。祖母からきく叔母の話は、いつも感情を表さずに下の妹を可愛がっていたというようなものばかりだったので、その話を聞いた私は、叔母の意外な一面に驚くというよりは、あの物憂げな悲しさについての説明を与えられたような心持ちになり、驚きとも納得ともつかない印象を得ていた。私はまだこの話を叔母としたことがないから──もとより何の話であれ、私はあまり叔母と話をしたことがないような気がする──、その時の叔母の心情までは計れない。しかし、まだ辻髪ににも満たない私がその話から改めて導きだした教訓は、存在を崩壊に至らしめる死の恐怖に襲れても、そこから私を救い出せるものなどこの世にはないということと、それ故に死については下手に近寄ったり考えたりするべきではないということ、この二つにほかならなかった。

 

私の母は、私が幼い頃、「自分はいつか死ぬ」ということをいまよりずっと多く私に語りかけた。私がそっとベッドの中で「死」の概念と対面してはそれに怯えるより早く、「死」は母についての深刻な問題として私のなかに根を下ろした。思えば、私を生む直前に自分の母親を亡くした母にとってみれば、私という自分の子を生み育てるということは、自分の母親の死の延長を生きることに等しかったのだろう。いまになってそんなことにも思い至るようになったが、まだ生物学的に産み落とされただけに等しいほどに幼い私にとっては、なぜ母が「死」という誰しもが抗いようのないアポリアを私に突きつけるのかと思っては、ただただ言葉をなくすほかになかった。しかし、せめて表情においてだけでも彼女が提示する「死」というものを諾すべきと思い、いつも心を食いしばった。母は自分の死というものを口にすることで、私に助けを求めているのではないかと感じていたのだ。

 

「死」についてのこれらの象徴的な二つの経験とともにやがて成長した私は、「死」という劇薬が定期的に差し出されてもそれを極めて慎重に拒絶する術を身に着けていった。それは私に残された唯一の道であったように思う。「死」とまっとうに対峙したところで、死ねることすらできはしない──自分をやがて捉えるだろう死について、つまり自分の死そのものについて、私は空を飛ぶことができないのと同じ理由で考えることができないのである。母をどうしても救うことができないという事実がなによりの証左であるように、如何なる博雅になろうとも、また如何に慈悲深くあろうとも、生きている人間は死について等しく無知で無力でしかない。だから私はそのことをこそ、できるだけ多くの憂惧を賭して知ろうとしてきたのだった。

 

そしてほどなく、ある特定の人間たちによって掲げられた旗標の存在を目にした──すなわち、「哲学とは死ぬことの練習である」。これは、註解を要しないほどあまりにも有名な『パイドン』の一節(81A)、遠く古代ギリシア碩学ソクラテスプラトンの魂についてのテーゼである。

 

ソクラテス 「(…)親愛なるケベスとシミアスよ、むしろ、事情ははるかにこうなのだ。一つの場合はこうである。もしも、魂が純粋な姿で肉体から離れたとしよう。その場合、魂は肉体的な要素を少しも引きずっていない。なぜなら、魂は、その生涯においてすすんで肉体と交わることがなく、むしろ、肉体を避け、自分自身へと集中していたからである。このことを魂はいつも練習していたのである。そして、この練習をこそは正しく哲学することに他ならず、それは、また、真実に平然と死ぬことを練習することに他ならないのだ。それとも、これは死の練習じゃないかね」(プラトンパイドン──魂の不死について』岩田靖夫訳, 岩波書店, 1998, p. 79[80D-81A])

 

プラトンより2500年もの時を経た今日でもなお、さまざまな学問分野から参照項とされるこの一節が記された『パイドン』において、プラトンは肉体に対する魂の優越、また生に対する死の優越(神への接近)、哲学者の理想的あり方としての屍(肉体を捨てて魂になること)、そこから演繹された自殺の禁止(神の意志に反する行為としての自殺)、そして生と死の循環(魂の故郷ハデス)などについてをソクラテスに語らせた。以後のすべての西洋哲学はこれを始めとするプラトン思索を肥沃な土壌として茎や蔓を厳密と未来のほうへと伸ばし、多彩な花をさかせてきたのである。つまり、ハイデッガー現象学や現存在にせよ、レヴィナスの他者論にせよ、存在=生についてのことばは、須くこのプラトンによるソクラテスの霊魂論に基づく「死の練習」であると言える。

 

しかし、私はこの「死の練習」というフレーズに触れるたびに、どこか片手落ちの印象を拭えずにいる。哲学は死の練習の如きものだという場合、その「死」の範疇はどこからどこまでのことを言うのか。あるいはまた、ソクラテスの講談には誰の死の練習なのかということが示されていないのではないか。テクストに準じて考えれば、ソクラテスは哲学することを死の練習と呼んだのだから、まずこの場合一義的には「自分の死」の練習であるだろう。しかし、そこでレヴィナス的なものの蠢きがきこえてくる──つまり、死を通じて自己と他者が同一のものとなる可能性である。これをさらにもう少し敷衍するならば、「死の練習」におけるその「死」の所有格は「私(の死)」であり、それと同時に「他の誰か(の死)」でもあるということになる──私の死の練習、そして他の誰かの死の練習。これはつまり、私が死ぬことの練習であり、誰かに死なれることの練習(「誰かが死ぬことの練習」ではない)である。『パイドン』がどこか偏頗な議論に思えたのは、つまり、私たちが死について語るときそれは to die (死ぬこと)と to be died (死なれること)*1の両方を同時的に言及しているということが、そこには見えにくかったためであろう。

 

問題は、死の意味論、あるいは死についての語りの意味論にある。ソクラテスが言うように、哲学がすべて死の練習に等しいのならば、既述の通り、存在論、現象学、他者論や(実存)哲学一般は、生の語りの形式による死についての実践的思考である。哲学は、生について(また、生にはまったく関係のないことについて)語ることにより、死の練習となる。しかしその反対に、直接【死について語ることば】は、一体どうなるだろうか。哲学の(生についての)語りが死の練習であるのと同様に、それもまたいずれ訪れる死の練習なのだろうか。それとも反対に、死についての語りは生についての練習、あるいは生についてのより深き思考なのであろうか。

 

例えば死生学*2のような分野のように、死について考えることがそのまま(よりよき)生を実現することを意味する場合もあるだろう。しかし、生と死を縦横無尽に交差させていくことによって生の可能性を拡大する手際とは別に、もうひとつさらに重要な死(についての語り)のあり方があるのではないか──私が死について考えるとき、それは直接自分の死 to die についての思考/練習ではないように思われるし、ましてや自分の生についてでもない。そのような私の胸騒ぎは、フランスはルーアンに据えられたある墓の刻印を呼び起こす。

 

 

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D'ailleurs, c'est toujours les autres qui meurent.(されど、死ぬのはいつも他人)

 

20世紀最大の芸術家マルセル・デュシャンの墓に刻まれた墓碑銘である。「死ぬのはいつも他人」──すなわちわれわれが直接的に死について語ることばは、他の誰かの死について語ることばであり、それはつまり「死なれる to be die」ことについて語ることばであるように思われるのである*4。私たちが想像し語り得る「死」とは、すべからくいつも他人の死を意味しているのだ。死について直接的に考え語ることが、自分の死についての練習にはならない理由は、まさにここにある。科学技術の発展に乗り込み、神の世界から遁逃してきて久しいわれわれが使うことのできる「死」ということば──科学的=客観的な死──は、もはや自分以外の死という意味にほかならないし、だからこそ私たちは死について考えるために生について語るという迂回が必要なのである。

 

(数日前にニュースにあがったフォアグラ問題にしても、「どんなに惨い殺され方をしているか」よりも「どんなに惨い育てられ方をしているか」を問題にする感性を映し出していたが、生と食が入り交じるところは、「自分の死」に対するアレルギーがもっとも現れやすい場所のひとつである。そしてそういう意味では、究極の多神論者としての無神論者たちの集まりである日本文化において、もはや死も神に続く超越的な救いにはならないがために、いかに死ぬ(殺す)かよりもいかに生きる(育てる)かに注意が注がれるという構造もわからなくもないように思われる。)

 

したがって私は、「哲学は死の練習である」という文言の後ろに、それは死ぬ練習のみならず、それは死なれる練習でもある、という註釈をそっと添えたい思いに駆られている。死ぬことはおそらく生涯で一度だけであるが、死なれることはきっとそれよりずっと多い。そして、どのように死なれたか──他人たちの死をどのように受け止めたか──が、必然自分がどう死んでいくかを構成する要素となるだろう。そしてさらには、自分がどう死んでいくかということは、そのまま自分の死後に他者たちがどのように生きるかということにそのまま繋がっていく。死なれること、死ぬこと(死なれることを与えること)、そして生きていくこと──これが、「死なれる哲学」の軸となるだろう。

 

そこまで書き終わると、ある書物の一節が私の意識に飛び込んできた──米国哲学界および人類学界の奇傑アルフォンソ・リンギズの秀逸な著作の冒頭である。

 

(…)私は、すべてを残して去っていく者、すなわち、死にゆく人びとのことを考え始めた。死は一人ひとりの人間に一つひとつ別なかたちで訪れる、人は孤独のなかで死んでいく、とハイデガーは言った。しかし、私は病院で、生きている人が死にゆく人の傍に付き添うことの必然性について、何時間も考えさせられた。この必然性は、医師や看護師、つまり、できることをすべて行うためにそこに居る人びとだけのものではない。死にゆく人に最後まで付き添おうとする人、打つ手が何もなくなったのに居つづける人、自分がそこに居つづけないわけにはいかないと切実に感じている人にとっての必然性でもある。それは、この世で最も辛いことではあるが、人はそうすべきだとわかっている。死にゆく人が人生を一緒に生きてきた親や恋人だから、という理由だけではない。人は、隣のベッドで、あるいは隣の病室で、まったく知らない人が孤独に死につつあるときにも、そこに居つづけようとするのだ。/これはたんに、一人ひとりの人間のモラルを問う決定的瞬間という意味しかないのだろうか?私は、病院であれ貧民街であれ、孤独に死にゆく人を見捨てるような社会は、みずからその土台を根こそぎにしているのだと考えるようになった。/私たちと何も共有するもののない──人種的つながりも、言語も、宗教も、経済的な利害関係もない──人びとの死が、私たちと関係している。この確信が、今日、多くの人びとのなかに、ますます明らかなかたちで広がりつつあるのではないだろうか?私たちはおぼろげながら感じているのだ。私たちの世代は、つきつめれば、カンボジアソマリアの人びと、そして私たち自身の年の路上で生活する、社会から追放された人びとを見捨てることによって、今まさに審判を受けているのだ、と。/こうした考察から私が理解したのは、他者のなかにあって私たちに関係するものとは、まさに彼または彼女の他者性──私たちと対面するときに、私たちに訴えかけ、私たちに異議を申し立ててくるもの──にほかならない、ということである。(アルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』堀田義太郎/田崎英明訳, 洛北出版, 2006, p. 11-13)

  

 

 

 

 

*1:ただし、通常の英語では to lose someone や to be bereaved of という表現が用いられるが、to be died とは言わない。「死」に関する表現は各言語ごとに非常に多種多様であるため、言語学的な水準において「死」の表現を羅列するだけでも、その文化における死の意味を推し量ることができるだろう。

*2:死生学 thanatology は、ソクラテスによる件の辞を現代においてもっともアクチュアルに参酌しているもののひとつである。聞き慣れない学問分野かもしれないが、例えば日本でも東京大学大学院人文社会系研究科を拠点に2010年よりグローバルCOEプログラムが発足し、いまもなお各分野のエキスパートにより盛んに研究が進められており、とくに今世紀に入りますます急激な技術発展を遂げるバイオテクノロジーの傍らで優生学をはじめとする倫理的問題などを担う重要な領域である。Cf. 島薗進「グローバルCOE「死生学の展開と組織化」の課題と目標」. See also, 死生学の展開と組織化|東京大学グローバルCOE.

*3:News, TOUT-FAIT: The Marcel Duchamp Studies Online Journal より

*4:ドイツ哲学の研究者である熊野純彦先生が2008年9月号の「UP」(東京大学出版局)にて死生学リレーエッセイと題された連載でまさに「死なれる」と題されたエッセイを寄せられている。残念ながら私はまだ未読なのだが、カントやハイデッガーを驚異的なスピードで翻訳しながら、自身の哲学論やレヴィナスハイデッガー研究の書もまた次々と上梓されている熊野先生が書き記す死生学が「死なれる」という視座から語られたというのは大変興味深い点である。