de54à24

pour tous et pour personne

この朝に何度「おはよう」と言っただろう

 

先週の通院日は、約3年に渡って私の主治医を務めてくださっていた先生による最後の診察日だった。2011年の初夏に入院したときに出会ってから、休学中だった大学へ復学し、卒業論文を書き、無事に卒業を迎え、それと同時に外部の大学院に進学するに至るまで、すべてのステップに寄り添っていてくれた主治医が、これまで、そしてこれ以降の私の人生へ寄せてくれた貢献は計り知れないものである。そして、現在の病院にたどり着くまでもすでに7人の精神科医の診察を受けてきたが、病院とはいえ、人間関係が根本的に試されるような精神科において、理屈を超えて直観的に信頼を寄せることができる医師に逢えるのは極めて希なことであると改めて考えていた。大変頼りにしてきた主治医を失うということは、それだけで生活全体が不安定になり得ることではあるが、それでもある意味では「卒業」とも呼べるこの別れとともに、私はまたひとつ成長するだろう。病院からの帰り道、見上げると、街路の花々に飾られた初夏の気配を感じる青く広大な空は、この船出にたいへん相応しいものであった。

 

 

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帰宅後、うちにあるプランターのすべてに土を入れ、苗や種を植えてもなお余っていた朝顔の種を18粒、最後に残ったプランター植えた。このタキイ種苗の青と白のマーブル模様の朝顔の成長は、主治医との別れの日からの始まる。この青の朝顔が大きくなればなるほどに、きっと私も新しい生活に自信を持つようになるだろう。目に見える指標があるというのは、それだけで心強いものである。みれば、少し前に蒔いたパクチーやバジル、ミントの種が土のなかからラッキーグリーンやエメラルドグリーンの小さく愛らしい芽を出していた。アイコやココと名のつくミニトマトの苗も、黄色い小花を飾りながらみるみるうちに大きく頑丈になってきていた。

 

そんな別れを惜しむ間もなく、定期的にやってくる妹の手伝い要請にその夜から寝る間も惜しんでまる5日を費やした。あまりここには登場しない妹だが、なにも仲が悪いわけではない。離れて暮らしていても、総じて週の半分はLINEやメールなどで連絡をとっている。三つ年下の妹は、簡単に言えば物心ついた頃から明らかにシスコンを絵に描いたような人間で、自分と私を比べてはフラストレーションを抱き、しかし自分にできないことができる私に羨望とも憧れともつかない感情を抱く結果、文章作成に関しては信用がおけると判断したのであろう私を何かにつけてゴーストライターとして採用するという末娘らしい世渡り上手の術を毎度毎度開陳している。大きな声では言えないが、今まで自分のものも書いたことがない修士論文から履歴書に至るまでの彼女の文章(どれも科学論文とは異なり、明記された執筆者だけで書く義務がないものであるのをよいことに)を私は毎回、怒鳴り散らしながら添削以上の執筆を行ってきた。日本語に堪能ではない外国人が書く日本語のような文章を書く妹に、文章の構造やことばの意味を逐一教えながら文章を完成させるのは、自分で書くよりも10倍以上の時間と労力を要する。修士論文のときには、何度提出先である東京藝大某学科の低レベルな論文作成に関する陶冶および指導に文句を言いに行こうと思ったか知れない。そして今回は、英語圏の企業へのエントリーに必要な履歴書に添付する cover letter の執筆を手伝った。日本語と英語の両方で書かせたせいもあるが、たかだがA4一枚の文書にまる5日を費やしたのだった──先方には是が非でも採用して頂かなければなるまい。

 

特に英語教育が盛んに行われるようになって以降、国語や英語以外の語学に対する教育について日本は随分と意識が低いように思われる。英語教育に励むのも構わないが、国語を十分に母国語として体得できていないうちに外国語に取り掛かっても、二兎追うものは一兎も得ずとなるリスクがあることを知っておかなくてはならない。高校時代にアメリカンスクールで出会った少なくない台湾のこどもたちは、英語も中国語も日常生活に必要な程度には使いこなしていたが、どちらも母国語とは言えない程度であり、つまりは読み書きが共に不十分だった。母国語を持っているということは決して当然なことではない。そして、ある特定の言語を十分堪能に使えないということは、国際社会におけるアイデンティティの不在にもつながり、また、当然ながらものを理解したり考たりする能力を身につけられないことを意味する。さらにはたとえば、社会において爆発的に増加する精神科の必要性は、医師の触診のない診察であることを忘れてはならないだろう。精神科医やカウンセラーといったセラピストととの対話が、すべての精神科的治療のはじまりである。必ずしも堪能にしゃべる必要はないが、自分の不安や心の状態を的確に言明できないというのは、患者と治療者の双方にとって随分もどかしいものとなるだろう──そして必然的に、そこでは患者が発する語彙のみならず沈黙の意味を特定することもまたずっと難しくなるに違いない。クレオールの豊かさを知ってもなお、言語教育の欠如や不足にまつわるリスクは、非常に深刻なものであると思う。

 

  この療法にはひとつ鍵となることがあった――これは河合や中井の診療法の全体にもかかわることで、本書の最大のテーマでもある。セラピストがいかに黙るか、ということである。セラピストの沈黙は、それまでの「善導」とは対極にある姿勢だった。診療する側はあくまで患者の言葉が出てくるのを待ち、無理強いしたり、介入したり、やたらと解釈を加えたりはしない。大事なのは、表に出されたものを共有すること。 こうまとめると、現代人の多くは「それはすばらしい」と安易に賛成するかもしれない。「他者の声に耳をすませる」といったフレーズは今、とても耳に心地良く響く。しかし、ことはそう単純ではない。一口に沈黙と言っても、ただ黙っているというのとはちょっと違う。上手に黙るのである。しかも簡単で明快なマニュアルがあるわけではない。だから実際の診療は、それぞれのセラピストのやり方におおいに依存することになる。黙る、待つ、という方法論にはじめは納得した人も、診療の現場で不安に思ったり、疑念をいだくこともあるだろう。そして、ときにはそんな疑念があたっていることもある。また、「箱庭療法」はとくに統合失調症の患者には、たいへん危険な作用をおよぼすことがあるという。使い方によっては、人の秘密をのぞくことにもつながるし、さまざまな負の側面も想定されるのである。
阿部公彦「最相葉月『セラピスト』書評」, 紀伊國屋書店 書評空間

 

 

 ここのところ、そういうわけで自分の読書や勉強がまったく捗らなかったのだが、その間、父親から中央公論社の世界の文学が全巻約100冊揃で届いた。私が大学進学のため実家を出る際、好きなところだけ数冊引っこ抜いてきたのに気がついた父が、どうせなら全部手元に置いておけと言って、足らなかった50巻ほどのタイトルを買いたして全集をすべて揃えて送ってくれたのだった。いまどきどこの出版社も世界全集など編まないだろうが、哲学書を教科書としている分野の学生たちにとってみれば、そこで引かれる文学作品がすぐに読める環境があるというのは大変ありがたいものである。それに、自分の好みで本を選んで買い揃えるのとは異なり、全集が揃っているとそれだけで知らない作品に触れる機会となる。この意味でも全集の類は、豊かな価値をもつものだと思う。唯一問題があるとすれば、ウサギ小屋然の日本の家屋ではこの量の書物を一挙に保管しておくのは容易ではないということくらいだろうか。

 

時折、自分がこの部屋に存在する膨大な量のことばと取り結んでいる関係について考えると、自分がまるでどこかの本の片隅に文字によって刻み込まれている存在のような気がしてならない。すべての本の主人公は、ことばこそがその存在の基底であり、すべてなのだ。