de54à24

pour tous et pour personne

されど、死ぬのはいつも他人


学部時代の恩師は、よく彼の幼い頃の出来事について言い及んだ。それはある夜、布団にくるまる小さな彼をふと突然に「死」という概念が襲い、眠りどころか彼の小さな世界全てを錯乱に陥らせては、ついには彼を生きていられないほどの恐怖に引きずり込んだという話であった。

 

私は恩師がいつも情感たっぷりに話すこの話を聴く度に、叔母のことを思い出していた。彼女は、今に至るまで私にとって一番ミステリアスな親族であるように思う。背が高く、切れ長の目に、品のある声。もうひとりの叔母、つまり彼女の妹がいくつになっても明け透けで若々しいのとは反対に、祖父母のどちらにも似ていない印象を与える叔母は、優しく微笑みながら私の名前を呼んでいるときでも、その瞳にはいつもある種の悲しみのようなものが感じらるような人なのだ。私の従妹にあたる彼女の娘が先頃こどもを生んで、叔母ももうお婆ちゃんになったのだが、昨年会ったときに見かけた手慣れた様子で孫をあやす叔母の姿の奥深くには、何年経っても少しも濁ることないあの優しい悲しみが見て取れた。

 

祖母と一緒に暮らしていた時分、話の流れで何度か叔母がまだ幼いある夜に「眠れない」とほとんど泣きながら、祖父母の寝室を訪れたという話を聞いた。訊けば、「人はどうして死ぬの?」「死ぬのが怖い」と言って、幼き叔母はさらに涙を流して泣いたという。祖母からきく叔母の話は、いつも感情を表さずに下の妹を可愛がっていたというようなものばかりだったので、その話を聞いた私は、叔母の意外な一面に驚くというよりは、あの物憂げな悲しさについての説明を与えられたような心持ちになり、驚きとも納得ともつかない印象を得ていた。私はまだこの話を叔母としたことがないから──もとより何の話であれ、私はあまり叔母と話をしたことがないような気がする──、その時の叔母の心情までは計れない。しかし、まだ辻髪ににも満たない私がその話から改めて導きだした教訓は、存在を崩壊に至らしめる死の恐怖に襲れても、そこから私を救い出せるものなどこの世にはないということと、それ故に死については下手に近寄ったり考えたりするべきではないということ、この二つにほかならなかった。

 

私の母は、私が幼い頃、「自分はいつか死ぬ」ということをいまよりずっと多く私に語りかけた。私がそっとベッドの中で「死」の概念と対面してはそれに怯えるより早く、「死」は母についての深刻な問題として私のなかに根を下ろした。思えば、私を生む直前に自分の母親を亡くした母にとってみれば、私という自分の子を生み育てるということは、自分の母親の死の延長を生きることに等しかったのだろう。いまになってそんなことにも思い至るようになったが、まだ生物学的に産み落とされただけに等しいほどに幼い私にとっては、なぜ母が「死」という誰しもが抗いようのないアポリアを私に突きつけるのかと思っては、ただただ言葉をなくすほかになかった。しかし、せめて表情においてだけでも彼女が提示する「死」というものを諾すべきと思い、いつも心を食いしばった。母は自分の死というものを口にすることで、私に助けを求めているのではないかと感じていたのだ。

 

「死」についてのこれらの象徴的な二つの経験とともにやがて成長した私は、「死」という劇薬が定期的に差し出されてもそれを極めて慎重に拒絶する術を身に着けていった。それは私に残された唯一の道であったように思う。「死」とまっとうに対峙したところで、死ねることすらできはしない──自分をやがて捉えるだろう死について、つまり自分の死そのものについて、私は空を飛ぶことができないのと同じ理由で考えることができないのである。母をどうしても救うことができないという事実がなによりの証左であるように、如何なる博雅になろうとも、また如何に慈悲深くあろうとも、生きている人間は死について等しく無知で無力でしかない。だから私はそのことをこそ、できるだけ多くの憂惧を賭して知ろうとしてきたのだった。

 

そしてほどなく、ある特定の人間たちによって掲げられた旗標の存在を目にした──すなわち、「哲学とは死ぬことの練習である」。これは、註解を要しないほどあまりにも有名な『パイドン』の一節(81A)、遠く古代ギリシア碩学ソクラテスプラトンの魂についてのテーゼである。

 

ソクラテス 「(…)親愛なるケベスとシミアスよ、むしろ、事情ははるかにこうなのだ。一つの場合はこうである。もしも、魂が純粋な姿で肉体から離れたとしよう。その場合、魂は肉体的な要素を少しも引きずっていない。なぜなら、魂は、その生涯においてすすんで肉体と交わることがなく、むしろ、肉体を避け、自分自身へと集中していたからである。このことを魂はいつも練習していたのである。そして、この練習をこそは正しく哲学することに他ならず、それは、また、真実に平然と死ぬことを練習することに他ならないのだ。それとも、これは死の練習じゃないかね」(プラトンパイドン──魂の不死について』岩田靖夫訳, 岩波書店, 1998, p. 79[80D-81A])

 

プラトンより2500年もの時を経た今日でもなお、さまざまな学問分野から参照項とされるこの一節が記された『パイドン』において、プラトンは肉体に対する魂の優越、また生に対する死の優越(神への接近)、哲学者の理想的あり方としての屍(肉体を捨てて魂になること)、そこから演繹された自殺の禁止(神の意志に反する行為としての自殺)、そして生と死の循環(魂の故郷ハデス)などについてをソクラテスに語らせた。以後のすべての西洋哲学はこれを始めとするプラトン思索を肥沃な土壌として茎や蔓を厳密と未来のほうへと伸ばし、多彩な花をさかせてきたのである。つまり、ハイデッガー現象学や現存在にせよ、レヴィナスの他者論にせよ、存在=生についてのことばは、須くこのプラトンによるソクラテスの霊魂論に基づく「死の練習」であると言える。

 

しかし、私はこの「死の練習」というフレーズに触れるたびに、どこか片手落ちの印象を拭えずにいる。哲学は死の練習の如きものだという場合、その「死」の範疇はどこからどこまでのことを言うのか。あるいはまた、ソクラテスの講談には誰の死の練習なのかということが示されていないのではないか。テクストに準じて考えれば、ソクラテスは哲学することを死の練習と呼んだのだから、まずこの場合一義的には「自分の死」の練習であるだろう。しかし、そこでレヴィナス的なものの蠢きがきこえてくる──つまり、死を通じて自己と他者が同一のものとなる可能性である。これをさらにもう少し敷衍するならば、「死の練習」におけるその「死」の所有格は「私(の死)」であり、それと同時に「他の誰か(の死)」でもあるということになる──私の死の練習、そして他の誰かの死の練習。これはつまり、私が死ぬことの練習であり、誰かに死なれることの練習(「誰かが死ぬことの練習」ではない)である。『パイドン』がどこか偏頗な議論に思えたのは、つまり、私たちが死について語るときそれは to die (死ぬこと)と to be died (死なれること)*1の両方を同時的に言及しているということが、そこには見えにくかったためであろう。

 

問題は、死の意味論、あるいは死についての語りの意味論にある。ソクラテスが言うように、哲学がすべて死の練習に等しいのならば、既述の通り、存在論、現象学、他者論や(実存)哲学一般は、生の語りの形式による死についての実践的思考である。哲学は、生について(また、生にはまったく関係のないことについて)語ることにより、死の練習となる。しかしその反対に、直接【死について語ることば】は、一体どうなるだろうか。哲学の(生についての)語りが死の練習であるのと同様に、それもまたいずれ訪れる死の練習なのだろうか。それとも反対に、死についての語りは生についての練習、あるいは生についてのより深き思考なのであろうか。

 

例えば死生学*2のような分野のように、死について考えることがそのまま(よりよき)生を実現することを意味する場合もあるだろう。しかし、生と死を縦横無尽に交差させていくことによって生の可能性を拡大する手際とは別に、もうひとつさらに重要な死(についての語り)のあり方があるのではないか──私が死について考えるとき、それは直接自分の死 to die についての思考/練習ではないように思われるし、ましてや自分の生についてでもない。そのような私の胸騒ぎは、フランスはルーアンに据えられたある墓の刻印を呼び起こす。

 

 

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D'ailleurs, c'est toujours les autres qui meurent.(されど、死ぬのはいつも他人)

 

20世紀最大の芸術家マルセル・デュシャンの墓に刻まれた墓碑銘である。「死ぬのはいつも他人」──すなわちわれわれが直接的に死について語ることばは、他の誰かの死について語ることばであり、それはつまり「死なれる to be die」ことについて語ることばであるように思われるのである*4。私たちが想像し語り得る「死」とは、すべからくいつも他人の死を意味しているのだ。死について直接的に考え語ることが、自分の死についての練習にはならない理由は、まさにここにある。科学技術の発展に乗り込み、神の世界から遁逃してきて久しいわれわれが使うことのできる「死」ということば──科学的=客観的な死──は、もはや自分以外の死という意味にほかならないし、だからこそ私たちは死について考えるために生について語るという迂回が必要なのである。

 

(数日前にニュースにあがったフォアグラ問題にしても、「どんなに惨い殺され方をしているか」よりも「どんなに惨い育てられ方をしているか」を問題にする感性を映し出していたが、生と食が入り交じるところは、「自分の死」に対するアレルギーがもっとも現れやすい場所のひとつである。そしてそういう意味では、究極の多神論者としての無神論者たちの集まりである日本文化において、もはや死も神に続く超越的な救いにはならないがために、いかに死ぬ(殺す)かよりもいかに生きる(育てる)かに注意が注がれるという構造もわからなくもないように思われる。)

 

したがって私は、「哲学は死の練習である」という文言の後ろに、それは死ぬ練習のみならず、それは死なれる練習でもある、という註釈をそっと添えたい思いに駆られている。死ぬことはおそらく生涯で一度だけであるが、死なれることはきっとそれよりずっと多い。そして、どのように死なれたか──他人たちの死をどのように受け止めたか──が、必然自分がどう死んでいくかを構成する要素となるだろう。そしてさらには、自分がどう死んでいくかということは、そのまま自分の死後に他者たちがどのように生きるかということにそのまま繋がっていく。死なれること、死ぬこと(死なれることを与えること)、そして生きていくこと──これが、「死なれる哲学」の軸となるだろう。

 

そこまで書き終わると、ある書物の一節が私の意識に飛び込んできた──米国哲学界および人類学界の奇傑アルフォンソ・リンギズの秀逸な著作の冒頭である。

 

(…)私は、すべてを残して去っていく者、すなわち、死にゆく人びとのことを考え始めた。死は一人ひとりの人間に一つひとつ別なかたちで訪れる、人は孤独のなかで死んでいく、とハイデガーは言った。しかし、私は病院で、生きている人が死にゆく人の傍に付き添うことの必然性について、何時間も考えさせられた。この必然性は、医師や看護師、つまり、できることをすべて行うためにそこに居る人びとだけのものではない。死にゆく人に最後まで付き添おうとする人、打つ手が何もなくなったのに居つづける人、自分がそこに居つづけないわけにはいかないと切実に感じている人にとっての必然性でもある。それは、この世で最も辛いことではあるが、人はそうすべきだとわかっている。死にゆく人が人生を一緒に生きてきた親や恋人だから、という理由だけではない。人は、隣のベッドで、あるいは隣の病室で、まったく知らない人が孤独に死につつあるときにも、そこに居つづけようとするのだ。/これはたんに、一人ひとりの人間のモラルを問う決定的瞬間という意味しかないのだろうか?私は、病院であれ貧民街であれ、孤独に死にゆく人を見捨てるような社会は、みずからその土台を根こそぎにしているのだと考えるようになった。/私たちと何も共有するもののない──人種的つながりも、言語も、宗教も、経済的な利害関係もない──人びとの死が、私たちと関係している。この確信が、今日、多くの人びとのなかに、ますます明らかなかたちで広がりつつあるのではないだろうか?私たちはおぼろげながら感じているのだ。私たちの世代は、つきつめれば、カンボジアソマリアの人びと、そして私たち自身の年の路上で生活する、社会から追放された人びとを見捨てることによって、今まさに審判を受けているのだ、と。/こうした考察から私が理解したのは、他者のなかにあって私たちに関係するものとは、まさに彼または彼女の他者性──私たちと対面するときに、私たちに訴えかけ、私たちに異議を申し立ててくるもの──にほかならない、ということである。(アルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』堀田義太郎/田崎英明訳, 洛北出版, 2006, p. 11-13)

  

 

 

 

 

*1:ただし、通常の英語では to lose someone や to be bereaved of という表現が用いられるが、to be died とは言わない。「死」に関する表現は各言語ごとに非常に多種多様であるため、言語学的な水準において「死」の表現を羅列するだけでも、その文化における死の意味を推し量ることができるだろう。

*2:死生学 thanatology は、ソクラテスによる件の辞を現代においてもっともアクチュアルに参酌しているもののひとつである。聞き慣れない学問分野かもしれないが、例えば日本でも東京大学大学院人文社会系研究科を拠点に2010年よりグローバルCOEプログラムが発足し、いまもなお各分野のエキスパートにより盛んに研究が進められており、とくに今世紀に入りますます急激な技術発展を遂げるバイオテクノロジーの傍らで優生学をはじめとする倫理的問題などを担う重要な領域である。Cf. 島薗進「グローバルCOE「死生学の展開と組織化」の課題と目標」. See also, 死生学の展開と組織化|東京大学グローバルCOE.

*3:News, TOUT-FAIT: The Marcel Duchamp Studies Online Journal より

*4:ドイツ哲学の研究者である熊野純彦先生が2008年9月号の「UP」(東京大学出版局)にて死生学リレーエッセイと題された連載でまさに「死なれる」と題されたエッセイを寄せられている。残念ながら私はまだ未読なのだが、カントやハイデッガーを驚異的なスピードで翻訳しながら、自身の哲学論やレヴィナスハイデッガー研究の書もまた次々と上梓されている熊野先生が書き記す死生学が「死なれる」という視座から語られたというのは大変興味深い点である。