de54à24

pour tous et pour personne

LOVERS 永遠の恋人たち

キャンパスに赴くと、真っ赤に染まった紅葉が雨に打たれながら落葉していた。研究室では、どうやら昨晩ここに泊まったらしい先輩が眠気まなこでコーヒーを淹れたりPCを弄ったりしていた。暦ではもう師走も半分が終わったというのに、この街や大学の研究室は相変わらず世の暦など知るものかといった感じである。そんな大学にもほとんど顔を出していない私が言えたことではないが。

 

年末年始は帰省するのかという話がでて、古橋悌二のことを思い出した。お盆も年末年始も基本的には淡々とひとりでいつものように暮らすのが、私の常であり、また治療的在り方である。どういうわけか古橋悌二は決まって冬に私の前に現れる。作品の印象としては春先のほうが、似合っていると思うのだが、彼の作品をじっくりみるのはいつも寒い寒い真冬の日である。何年か前の年末は、大学の視聴覚室が嫌いだったため、市の芸術センターの小さな図書室にこもって数日間休みなくVHSを再生していた。神戸や大阪の大学が主催していたダムタイプ《S/N》《pH》の上映会に電車を乗り継いで出かけたこともあった。そして今冬もまた、古橋悌二《LOVERS》の関連展示上映がせんだいメディアテークで行われている。

 

□ 対話の可能性|LOVERS 永遠の恋人たち
http://www.smt.jp/dialogues/lovers.html  

       
       古橋悌二 - Lovers (based on the soundtrack for the ...

 

■ dumb type
http://dumbtype.com 

京都を中心に活動する日本のアーティスト・グループ。1984年に、古橋悌二*1をはじめとする京都市立芸術大学の学生を中心に結成された。性・人種・身体障害などの問題を取り上げ、映像・音響・パフォーマンスなどによって複合的に提示されるその作品は国内外で高い評価を獲得している。なかでも、古橋本人がドラァグ・クイーンとして出演する代表作《S/N》(94年初演)は、現在でもヴィデオ記録などを通じて幅広い支持を受けている。《S/N》が初演された翌年の95年には、個人名義でもインスタレーション《LOVERS》を発表していた古橋がHIVによる敗血症のため逝去。しかしその後も彼らの活動が止むことはなく、《OR》(1997)、《memorandum》(1999)などの作品が立て続けに発表されている。2002年にはNTTインターコミュニケーションセンター(ICC)で開催された「ヴォヤージュ」展で、新作《Voyage》に合わせたインスタレーションを発表。2011年から12年にかけては、早稲田大学演劇博物館で回顧展「LIFE with ART〜ダムタイプ『S/N』と90年代京都」が開催されている。また、美術作家・音楽家の池田亮司、同じく美術作家の高谷史郎や高嶺格、ブブ・ド・ラ・マドレーヌなど、ダムタイプの参加メンバーの多くが個人として幅広く活動していることも特筆に値する。(星野太, "ダムタイプ", 現代美術用語辞典ver.2.0, http://goo.gl/NLCvaF, 2013.12.18アクセス)

  

 《LOVERS》は古橋悌二が亡くなるおおよそ一年前に発表されたビデオインスタレーション作品である。その直前にdumb type名義で発表された《S/N》とは異なり、当時の作品をそのまま記録したメディアが国内には存在しない。これまでにもSMTやICCにおいて再現や関連資料の展示が度々なされてきたことからも明らかなように、古橋が他界してからもうすぐ20年が経とうかという今日でも、古橋悌二というアーティスト自身の、そして一回性を纏ったパフォーマンス作品の今はなきカリスマ性は人々の記憶に深く刻まれ、そして語り継がれている。

 

「愛は情報に還元できるか?」

「アートは有効な表現手段か?」 

「DO NOT CROSS THE LINE OR JUMP OVER」

 

抑制の利いた池田亮司のミニマルミュージックと挑発的なほどにダイレクトな政治性への抵抗を主張する人間の姿=裸体は、情報を集め理屈によって現実を考えることを当然のように行うわれわれに、現実の圧倒的な唐突さと不可逆性を見せつけるようである。記号によって隙間なく敷き詰められた世界は、記号化されないおぞましさ(理解不可能性)や記号への涜聖を前に、未だ「これがわれわれの世界である」と盲信することができるだろうか。

 

文化的に理解不可能とか、存在不可能とされ」てきた女性は、社会の中で鏡としての地位しか与えられず、その行動はヒステリーとして文化の「そと」に追いやられてきた。『pH』に現れたこのような女性の「ヒステリー」的行動は、このパフォーマンスの難解さ、いわゆる前衛性として漠然と理解されるようなものである。男性的な視点で文明の中にいる我々は、もがき苦しみながら文明に翻弄される女性たちのパフォーマンスを見るとき、そこに違和感を覚え、それが理解不可能なものであると感じる。我々は他者の視点を排除しがちな社会に生き、ヴァルター・ベンヤミンのたとえをひけば、進歩の強風の中で敗者の歴史を振り返ることができずにいる(ベンヤミン 119-120*2)。(藤田敦志「ダムタイプ──アートと政治性の両立へ」, p. 164, 2013.12.18アクセス)

 

       

       DumbType-Lovers - YouTube

 

人と人とのあいだには、性と性のあいだには、人と人以外の生きもののあいだには、どれほど声を、身ぶりを尽くしても、伝わらないことがある。思いとは違うことが伝わってしまうこともある。〈対話〉は、そのように共通の足場をもたない者のあいだで、たがいに分かりあおうとして試みられる。そのとき、理解しあえるはずだという前提に立てば、理解しあえずに終わったとき、「ともにいられる」場所は閉じられる。けれども、理解しあえなくてあたりまえだという前提に立てば、「ともにいられる」場所はもうすこし開かれる。/対話は、他人と同じ考え、同じ気持ちになるために試みられるのではない。語りあえば語りあうほど他人と自分の違いがより微細に分かるようになること、それが対話だ。「分かりあえない」「伝わらない」という戸惑いや痛みから出発すること、それは、不可解なものに身を開くことなのだ。/「何かを学びましたな。それは最初はいつも、何かを失ったような気がするものです」(バーナード・ショー)。何かを失ったような気になるのは、対話の功績である。他者をまなざすコンテクストが対話のなかで広がったからだ。対話は、わたしのまなざし、ひいてはわたしのわたし自身へのまなざしを開いてくれる。(鷲田清一「対話の可能性 Possibilities of Dialogues」せんだいメディアテーク, http://goo.gl/Ua0JdY, 2013.12.18アクセス)

 

  

*1:1960年京都生まれ.1985年,ヴィデオ作品《7 Conversation Styles》が「第1回東京国際ビデオ・ビエンナーレ奨励賞を受賞.1984年にダムタイプを結成した後は,グループでの作品発表が主となり,ヴィジュアル・アート,映像,建築,音楽,プログラミングなど多様なジャンルのメンバーで構成されるグループの中心的存在として,パフォーマンス,インスタレーションなどさまざまな表現活動を行なう.1990年のパフォーマンス《pH》(東京・スパイラルにて初演)からは,「ワーク・イン・プログレス」の手法を取り入れ,また海外公演も頻繁に行なうようになる.1992年秋にHIV陽性であることをメンバーに伝える.その事実を共有した上で制作された 《S/N》(1994年オーストラリアにて初演)は,ジェンダー,セクシュアリティ,国籍,人種など,いわば押しつけられたアイデンティティを取り上げ,ダムタイプの新たな展開を見せるものとなった.1994年には,《S/N》と表裏一体をなすヴィデオ・インスタレーション《LOVERS――永遠の恋人たち》(キヤノン・アートラボ第4回企画展,東京・ヒルサイドプラザ)を古橋悌二の個人名義で発表した.1989年からはドラァグ・パーティーを企画するなど,アメリカのゲイ・コミュニティの思想と実践にも深く関わるほか,エイズ会議にも積極的に関わり,その活動はアートの領域だけに留まらない社会性,政治性を帯びるようになる.1995年10月29日,《S/N》サンパウロ公演中に,敗血症により死去.遺稿,書簡,発言を集めたものとして,『メモランダム 古橋悌二』(リトル・モア,2000)がある.(ICC ONLINE, http://goo.gl/pifyky, 2013.12.18アクセス)

*2:ヴァルター・ベンヤミン『暴力批判論』(ヴァルター・ベンヤミン著作集1)晶文社, 1970.