de54à24

pour tous et pour personne

天使と/の再会

数年前、とかく体調が悪く、コンビニに行くこともままならなかった頃、私は暇つぶしに──といっても、鬱状態の人間にとって持て余した時間というのは殆ど絶望に等しい──昼夜問わずにTwitterに張り付いては、流れ来ては流れ去る小さなさえずりと戯れてることで、自分が生きているということを直接的に感じることをどうにか回避していた。私がいまここで生きているのだということほど、鬱状態をさらに混乱させるものはない。

 

その時に匿名のTwitter上で気が合う人がいた。(気が合う、という言い方以外にあの頃の私たちの様子を言い表すことばを持ち合わせていないのだが、つまり同じ分野の研究をとても似た問題意識の上で、おそらく同じような困難を感じながら勉強していたのである。)クレーの天使が描かれた白いアイコンの彼女は、いつも決まってジャック・デリダについてつぶやいていた。隠喩、亡霊、ハリネズミ。どうやら卒業論文を前にした大学生らしく、バイト終わりなのだろう、いつも真夜中にタイムラインに表れた。そのツイートがだれに向けたものでもないことは、擬音語や擬態語、受取手のない疑問符といった小さいささやかなことばに明らかにみてとれた。@でことばを交わす日もあれば、それぞれ別なことをつぶやき眺めるだけの日もあった。

 

彼女のツイートは、ただただ思考するためのものであり、自分が生み出す思考を自らから放つためのものであった。日本のどこにいるどういう人なのか、顔はもとより名前すらも知らない相手ではあったが、まるで小さなサナギのような彼女のことばひとつひとつが私にはとても心地よかった。デリダはあまり読んだことがなかったのだが、すぐに買い集めてはページに向かった。

 

フランス語では、同じ人物が、矛盾なく同じ瞬間に、《fichue〔死にかけ〕》、《bien fichue〔身なり良く〕》、《mal fichue〔気分が悪い〕》ことが、同時にありうるのです。しかしながら、固有言語を尊重しつつもなお、これら固有言語のあいだに、知が行き交う通路[パサージュ]を拓くことは可能です。この交通路は、ひいては翻訳しえぬものの側から呼び求められ、懇願されるもの、普遍的に望まれうるものであるとさえ、言えるのです。(ジャック・デリダ『フィシュ──アドルノ賞記念講演』逸見龍生訳, 白水社, 2003, p. 47)

 

夏の手前、私は昨日の記憶をすら辿れなくなった。いつの間にかネットで購入したのだろうものの段ボールが部屋中に積まれ、手足には覚えのない躊躇い傷がミミズ腫れになって張り付き、睡眠と覚醒は互いの境界を極限まで濁した。当時の主治医は、こともあろうに私がガス爆発を起こしかねないとの理由で入院を強く勧めた。その口調がとても不愉快だったこともあり、私は当然お断りを申し上げた。いくら医師でも、患者を強制することまではできない。とは言えしかし、あまりにも断片的すぎる記憶では、確かに自分がなにをやっていてなにをやりかねないのかすら検討がつかない。爆発して近隣住人まで巻き込むわけにはいかないし、なにか起こってたとしても海の外にある両親が私の身元を確認し、引き取るまでに早くても数日はかかる。この混乱は明らかに私に手に負えたものではなかった。そして数年前交通事故で入院して以来人生5度目の入院は、私が破滅的な私自身に観念する他ないと認めたときに決まった。 

 

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しかし、ひとつ心残りだったのは、クレーの天使の彼女との連絡手段がまったくなくなってしまうことだった。病棟内はPCもケータイも禁止なので、入院してしまったらそのまま連絡が途絶えてしまう。それを懸念しながらも、入院までの準備や手続きが慌ただしく、ろくに状況を伝えられないまま私はTwitterからもネットワールドからも暫し遠のいた。緑が生い茂る小高い丘にある病院は、夏が深まるほどに異世界の療養所のようになった。退院を前に一時帰宅したときにTwitterを覗くと、クレーの天使のアカウントは削除されていた。

 

退院してからは、半年ほど自宅療養を続け、翌春からいよいよ2度目か3度目かの挑戦となる卒業論文との格闘の日々が始まった。何度かデリダを引用するか悩んだのだが、結局論旨の都合上デリダを論文に登場させるのはやめた。しかしその度に、クレーの天使の彼女は、無事卒業できたのだろうか、どんな論文を書いたのだろうか、と思っていた。そしてあんなふうにことばと向き合う人とどこかでまた出会えるならば、私もこのおぼつかない研究を続けてみてもいいかもしれないと思った。そして去年の今日、12月20日論文をどうにか提出した。

 

年明けには口頭試問、2月には大学院の試験があり、3月には進学先が決まった。高校時代のあまりにも乱暴な忙しさの反動で、卒業後も何年もの間大学進学など毛頭考えていなかった私が、ある秋に私にとってとてつもなく大切な存在と死別したのを機に、それまで暮らしていた街から出ずにはおられず、そしてこの死別ということについて冷静に考える方法を教えてくれるものがそこにはなにもなかったことが耐えられず、その冬、ろくに試験対策もできぬまま大学入試に挑んだ。入学後もまた何年か体調を崩して留年やら休学やらを繰り返していたため、入学試験というもの自体があまりにもひさしぶりだった。そして今回もまた、卒論提出に殆どすべての気力体力を使い果たし、試験対策どころではなかった。(私はいつになったらちゃんと備えて挑めるようになるのだろうか、あるいはならないのか。)

 

4月の入学式はあっという間だった。現学長の評判が著しく悪く、入学式に参加するものもあまり多くなかった。式自体も本当にあっというまに終わった。その日は一日中専攻の先生方などに挨拶まわりをしていた。同じ研究室に配属された5人の新入生がひとまとまりで行動することになったため、その間にお互いに軽い自己紹介や研究分野の話などをした。ただ、うちひとりが男の子(というか男性)だったため、どうしても彼がほかの女性陣の輪からはみ出てしまっていた。そのことを私の他にも少なくとも2人が気遣っていたようだったので、私はなんとなく研究生活を含め今後何年間について少しだけ安堵していたのを覚えている。

 

その彼と私が初めて話をしたのは、日も暮れ、その日の挨拶回りもすべて終わり、立食パーティーが始まってからだった。突然彼がビールを飲みほしている私のそばへ来て、私の下の名前を呼んだ。皆会ったばかりなので、ファミリーネームは覚えていてもファーストネームまではまだ知らないだろうということもあったのか、私はとても驚いた。そして、私はもっと驚かなくてはならなかった。なぜなら彼が、あのクレーの天使だったのだ。私のTwitterアカウントはそういえば自分の名前そのままだったし、あまり多くない名前なので、彼は私の名前を名簿に見つけたときから、私に気づいていたらしかった。まさか、もう一度会いたいと思っていた人と会えてしまうなんて、そんな番狂わせが人生にあっていいのだろうか。ひとり大騒ぎして、立食パーティーどころではなかった。

 

その後、彼(彼女だと思っていたのは私の勝手な思い込みだった)とは、研究仲間として友人として、この半年仲良くやっている。私より随分若いのだが、私が体調を崩してにっちもさっちもいかないとき(mal fichue)に、仕事をすべて代わってくれたり、おいしいケーキを買ってきてくれたり、面倒見のいいとてもよくできた青年である。数日前にも、いろいろ心配しないでまずは十分休んでください、なにかあったらいつでも呼んでくださいね、とのメールがあった。その日、相変わらず眠ることも起きることもできない(fichue)私は、目覚めたままみる夢をなぞるようにメールの主を想像しながらいつの間にか眠りについていた。年が明けて落ち着いたらまた彼とフレンチを食べに行こう。二人でスーツとドレスを身に纏い(bien fichue)、まるでどこかの商社かIT企業に勤めている彼とその彼女(か姉か従姉か)のような振りしてたくさん笑いながら食事をするのは、なんだかとても愉快で楽しい。

 

今でも振り返ると、まるでどっかの少女漫画みたいな話なのだが、これが私の2013年の最高の再会である。そして、私はこの再会を天使と名付けた。
Remerciez-vous, mon ange. 

 

私が何事かを奪われているというこの欠落、それはもちろん、喪についての何事かを、喪の真理についての何事かを告げています。不可能でありながらも、しかし行われ続ける喪。それはいつまでも終わりなく穿っていくのです、我々の数々の思い出の奥底深くを、思い出の大いなる海岸の下まで、砂一粒一粒の下まで、運命という驚くべき、周知の広がりの下まで、そして、それとは分からないほどに素早くて人目につかず、蓄えられていることも、言葉によって表現さることもない数々の瞬間の背後まで(カフェでの待ち合わせ、待ち切れぬ気持ちで開封された手紙、歯が見えるような大笑い、声の響き、ある日の電話での声の抑揚、手紙に書かれた文字の形、駅での別れ。駅で別れるそのたびごとに、分からない、と二人で言うのです。もう一度会うことができるのか、いつ、どこで会うことができるのかは分からない、と)。この欠落はまた義務感にもつながります。友にそのまま語らせておくこと、語り始める権利、彼のその権利をともに返すこと、話を始めないこと、とりわけ、友の代わりに話し始めないこと──友の死にあっては、これより重大な間違いは他にありません(そして私は自分が既にそれに屈してしまっていると感じています)──、友が語るように仕向けたりしないこと、友の沈黙の権利に割り込んでそこを占有したりしないこと、あるいは、こんなことが可能であればの話ですが、ともに語り始める権利を返すためだけに語り始めたりしないこと。(ジャック・デリダ『そのたびごとにただ一つ、世界の終焉 Ⅰ』土田智則/岩野卓司/国分功一郎訳, 岩波書店, 2006, pp. 225-226)