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pour tous et pour personne

魔法の角砂糖

イベント事やレジャーが大好きな父のおかげで、度々子供たちの学校を休ませてまでディズニーランドやスキーに出かけていた我が家(しかも往々にしてペットたちも同行するため車の中は大賑わいで、信号で止まると隣の車の中の人たちがよく笑っていた)ではあるが、ことクリスマス前後の思い出には数限りない。リビングに置かれた2メートルを超えるクリスマスツリーには母が毎年テーマを設けては鮮やかに飾り付け、ケーキを焼き、晩餐の用意をした。ある一年を除いてサンタクロースも欠かさず毎年プレゼントを置きにきていたし、通称足長おじさんと呼ばれる叔父からは段ボール数個分の本が届いた。

 

思い返すまでもなく、私の幼少期から中学、高校生くらいまでにかけてのクリスマスは、ただそれだけで幸せな気分になるようなものであったし、おいしい食事にも贈り物も満ちあふれていた。しかし、私にとってクリスマスプレゼントといえば、ゲーム機やお洋服、おもちゃや自転車に混じって思い出される小さな角砂糖である。

 

私が中学生のとき、どういう経緯かは忘れてしまったが、サンタクロースのような格好をし、愛犬のラブラドールにトナカイの角をつけ、家族みんなで知人の家をまわりキャンディーをプレゼントしたことがあった。幼なじみたちの家や昔近所に住んでいたおばさん、そして幼少期毎週のように通っていた小児科の先生など。(とはいえ、なぜあんなことをしたがったのか……。)

 

角砂糖をくれたのは、私がまだとても幼い頃に住んでいたマンション(父の会社の社宅)のご近所さんであったKさんというご夫婦の奥さまだった。それまでも、その奥さまは度々私たちを自宅に招いて、とてもおいしい紅茶やルビーのようなハイビスカスティーなどをお菓子を添えてごちそうしてくれたのだが、その時の帰りにはいつも私に舞踏会のドレスのようにラッピングした角砂糖を手渡してくれた。その角砂糖には、いわゆるアイシングでお花や真珠、お星様や天使の羽がデコレーションされていて、箱のなかはまるで宝石が輝くアクセサリー箱のようだった。そして紅茶のなかにお砂糖を溶かすとアイシングの花々がいっせいにお茶の表面に咲き乱れ、カップのなかは花畑となった。

 

そしてクリスマスにも、いつもより大きな、そしてカラフルな花を付けた角砂糖がたくさん詰め込まれた箱を、Kさんの奥様は「Merry Christmas!!」と言って私の掌に置いた。大きくなったら作り方を教えてあげるわね、と言われて、そのたびに心を躍らせていたのだが、まもなく私たちが別の土地へ越すこととなり、角砂糖に花をさかせる花畑の魔法を伝授してもらうことは叶わなかった。なんとなく、あの魔法の角砂糖をつくることができるようになったら、大人になったという徴のような気がしていた。大人になってからも度々いつか挑戦してみようとおもいながらなかなか叶わずにいるが、あと10年か20年かしたころに、私も小さな女の子に角砂糖をプレゼントしたいとこの時期になるといつも思い出す。

 


ティータイムが待ち遠しい!「角砂糖アイシング」がめっちゃカワイイ♡♡ 

Sugar cubes

 

それ以来八年たった、私の頭のなかにはまだ、花盛りのリンゴの木の枝越しに届いたままの彼の言葉が残っている。/彼は言っていた。子供のみなさんみなさんは未来です、と。しかし今の私には、その言葉が当初そう思えたのとは別の意味だったことがわかる。子供たちは、いつの日にか大人になるから未来なのではない。人類がだんだん子供に近づいてゆくから、幼児期が未来のイメージだからこそ、未来なのだ。/彼は叫んでいた。子供のみなさんけっしてうしろを見てはいけません、と。それは記憶の重みの下で未来が譲歩するのをわれわれはけっして許してはならない、ということだった。というのも、子供たちもまた過去のない者たちであり、それが彼らの微笑の魔術的な無垢の一切の秘密だからだ。(ミラン・クンデラ『笑いと忘却の書』西永良成訳, 集英社, 1992, p. 264)

 

 
【クリスマスBGM】USJ&Disney Christmas Special Medley ...