de54à24

pour tous et pour personne

On Colours: 愛の無言の言語


増薬のせいか、あるいは久しぶりの外出の疲れか、昨日きいたショッキングなニュースのせいか、いつにも増してつらい日中だった。陽光は去り、天空はいつのまにか深い藍に満たされると、隙のない寒さが街中に敷き詰められた。確か、下弦の月より少し若い月を更待月と呼んだのではなかったかと思い当たりながら、夜更けを待つ月には一体どんな物語りがあるのだろうと、今宵最期の夕空を見上げた。すると足下がふらついて、右側の塀に持っていたビニール袋が軽く擦れた音がした。なかには、先ほど書店の横の小さな花屋で買ったスイートピーが5本ばかり入っていたので、その花や茎が折れてしまってはいないかと心配になった。いつもはジョージア・オキーフの花の絵を飾って、白い壁紙で包まれた部屋に生気を呼んでいるのだが、花を生けてみるとすぐに、花の絵はあくまでも絵であって花ではないという至極当然ながらも本当に理解しようとすると著しく晦渋な事実が明らかとなった。そして、ずっと青色だと思い込んでいたレンゾ・ピアノの写真集の前にパープルのスイートピーを置くと、写真集の表紙とスイートピーの花の色がほとんど同じであることに気づき、思い込みのブルーが本当は紫だっていることを知ったのだった。
 
植物のほかの色、とくに花の色は、もっと神秘的な働きをもっている。緑色が個体の健康状態を知らせる単純な主張であるのに対し、他の色は祈願であり、誘いであり、問いである。それらは個体の生存よりもその種全体の生存により深いかかわりをもつ。ハミルトンによれば、/「移動することができないという残酷な運命を背負った植物にとって、色は絶望的あるいは情熱的な愛の無言の言語であり、羽の生えたメッセンジャーとして鳥や昆虫が、同じく宿命的に地面に縛りつけられている彼方の恋人に運び伝える言語である」*1(レオ・レオーニ『平行植物』宮本淳訳, 工作社, 1980, p. 85)
 
 
 
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She described her feeling about colour, which she considered her most important means of expression all her life, in a letter to William Milliken: "The large White Flower with the golden heart is something I have to say about White - quite different from what White has been meaning to me. Whether the flower or the color is the focus I do not know. I do know that the flower is painted large to convery to you my experience of the flower - and what is my expeience of the flower if it is not color. [...] Color is one of the great things in the world that makes life worth living to me and as I have come to think of painting it is my effort to create an equivalent with paint color for the world - life as I see it." (Britta Benke, Georgia O'Keeffe, 1887-1986: Flowers in the Desert, Taschen America Llc., 2011, p. 32)
 
 
私が隠伏するこの日当たりのいい小部屋は、この花たちのささやかな愛を蔽い閉じ込める鉄窓だったのかもしれない。それともまた、もしかすると私のささやかな愛をも閉じ込める牢獄なのかもしれない。ここが内であるのは、いつでも開く透明な薄いガラス窓に外の世界が、24時間でブルースケールを横断する世界が、映っているからだ。鍵ひとつ、誰も持っていない。
 
 
 
      
 
 
 
 
 

 

*1:エリック・ハミルトン「平行色」『シンポジウム──生物学研究』(ハートマン/コイル社、ロンドン、1969年)