de54à24

pour tous et pour personne

空の青み

 
 もし私が、「人間とは、もうひとりのほかの人間を映す鏡である」と言ったとすれば、自分の思考を表現していることになる。だがもし「空の青は人を欺く」と言うとすれば、そうはならない。私が仮に、思考を表現しようとする人間の口ぶりをもって「空の青は人を欺く」と言ったとすれば、滑稽であるだろう。思考を表現するには、独自の観念が必要なのだ。私の本心が漏れるとすればこうだ。つまり、観念などどうでもいい。私は自分自身を頂におこうとするのだ。(ジョルジュ・バタイユ『空の青み』/Georges Bataille, Œuvres complètes, tome III. Gallimard, 1971, p. 82)
 
 
 
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Le Bleu du Ciel ──朝陽と夕陽。空を見ながら、ふと雨を思った。
 
日本史の研究者である友人が昨年産んだ女の子の名前に「雨」という字を付けた。本人の名前には「水」という字がついているから、恵みの水と雨とはなんともすてきな名前だろうと思ったが、命名に際しては両家の両親から「考え直せ」としばらくの間ストップがかかっていたと零していた。晴れに対する雨という記号に日本人はやはりあまりよいイメージを持っていないようだ。しかし、雨という現象は晴れの日の太陽の恵みを真に意味のあるものとするためには必要不可欠のものである。それに、日本語には様々は雨を呼び分けるとても美しいことばがたくさんある。透明で形もなく地球の上や下を流れゆく、そんな内助の功のような「雨」という字がついた女の子はきっと清らかで怜悧な女性となるだろう。
 
 

ぼくの目は実際に頭上にきらめく星々のなかに呑み込まれてゆくのではなくて、正午の空の青みのなかに呑み込まれてゆくのだった。(Op.cit., p. 455)

 

ひとは自分の周りにあるものと同期していくという習性がある*1。だから、何を着て、なにを読んで、どのような部屋に暮らして、誰と生きるかというのが、そのまま自分を構成する要素となるのである──またそれと同時に「自分」という輪郭が必然的に自分を取り巻くものを意味することとなる。だとすれば、常に頭上にある空は一体どれほど「私」なのだろうか──「私」は一体どれほどにこの空なのだろうか。

 

                 * * * 

 

昔、友人二人と梶井基次郎の「檸檬」という小説を読み、主人公が檸檬を持ってあの有名な書店へと向かう道を辿った。このとても短い小説には、あたかもゴダールの「気狂いピエロ」のような色彩の洪水があるね、それに「動き」の印象がとても強い、なんて言いながら友人たちと「檸檬」の映像化の可能性について話した。そして昔からスポーツをやっていた彼ら二人には絶対に分からぬだろう、と私は心のなかで密やかに梶井が記した憂鬱ということについてを確かめていた。

 

私はこの小説を初めて読んだときから、あの有名な檸檬爆弾を置く行の少し前の箇所が頭のなかで繰り返し反復されていた。そして大学生になり、週に一度は街の大きな書店に立ち寄り、いつもの決まった順路で新旧さまざまな本の背表紙を眺めては時折ひとつを手にとってみたりするようになった。そしてほどなく、あの幾度となく反復した「檸檬」の光景──その反復にはいつもわずかに空恐ろしさのようなものが付随していた──が自分の身に起こったことを奈落の底を触れるかのごとくに感じるときがきた。好きな画集すら手にとれず、なんとも息が苦しい店内に、私のいる場所はもうなかった。

 

どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善の前だった。平常あんなに避けていた丸善がその時の私にはやすやすと入れるように思えた。「今日は一ひとつ入ってみてやろう」そして私はずかずか入って行った。/しかしどうしたことだろう、私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん逃げていった。香水の壜にも煙管きせるにも私の心はのしかかってはゆかなかった。憂鬱が立て罩こめて来る、私は歩き廻った疲労が出て来たのだと思った。私は画本の棚の前へ行ってみた。画集の重たいのを取り出すのさえ常に増して力が要るな! と思った。しかし私は一冊ずつ抜き出してはみる、そして開けてはみるのだが、克明にはぐってゆく気持はさらに湧いて来ない。しかも呪われたことにはまた次の一冊を引き出して来る。それも同じことだ。それでいて一度バラバラとやってみなくては気が済まないのだ。それ以上は堪たまらなくなってそこへ置いてしまう。以前の位置へ戻すことさえできない。私は幾度もそれを繰り返した。とうとうおしまいには日頃から大好きだったアングルの橙色だいだいろの重い本までなおいっそうの堪たえがたさのために置いてしまった。──なんという呪われたことだ。手の筋肉に疲労が残っている。私は憂鬱になってしまって、自分が抜いたまま積み重ねた本の群を眺めていた。 以前にはあんなに私をひきつけた画本がどうしたことだろう。一枚一枚に眼を晒終わって後、さてあまりに尋常な周囲を見廻すときのあの変にそぐわない気持を、私は以前には好んで味わっていたものであった。(梶井基次郎「檸檬」

 

 

その頃のような片生なほどに未熟ながらも瑞々しい感受性を、いまの私は当然ながらもう持ち合わせてはいない。おそらくはいま「檸檬」を読んだところで、あの寒空の下歩き回った微かな思い出に分け入ることもできないだろう。その日の空も当然のように青く、梶井が雑誌「青空」に「檸檬」を寄せた大正14年1月の空も、またそれに斉しく青かったのだろうことを当て所なく思っている。

 

 

 

 

  

*1:例えば、中井久夫は往診に出かけた先で、患者が生活をしているその空間に病や症状、患者の訴えの秘鑰があることを記している。「質問に応じて少女は頭痛と眼痛と脚の痛みとを訴えた。私は脈をとった。一分間に一二〇であった。速脈である。これは服用中の抗精神病薬によるものかもしれなかった。しかし、彼女はまったく気づいていない。(…)/(…)じっと脈をとっていると、私の脈も次第に高まってきた。身体水準での「チューニング・イン」が起こりつつあった。この能力に私は恵まれているが、それは両刃の剱であって、しばしば、私はこの状態からの脱出にくろうしてきた。ついに彼女の脈と私の脈は同期してしまい、私の脈も一分間一二〇に達した。(…)/感覚の鋭敏さの中で、私はガシャガシャガシャという轟音を聞いた。その轟音の音源はすぐわかった。母親が食事を作っている音である。力いっぱいフライパンを上下しているのだ。ついで鍋の中をかきまわす音。この音のつらさは、静かな瀬戸内の島に橋がかかり、特急列車が通過する時に島の人が耐えられないと感じる、その理由と同じものである。それは、音の大きさの絶対値だけではない。それもあるが、さらに苦痛なのは絶対に近い静寂が突如やぶられる突変性である。静かな場に調整されている耳は、騒音に慣れている耳とは違う。そもそも、聴覚は視覚よりも警戒のために発達し、そのために使用され、微かな差異、数学的に不完全を承知で「微分回路的な」(実際には差分的というほうが当たっているだろう)という認知に当たっている。(…)声の微細な個人差を何十年たっても再認して、声の主を当てるのが聴覚である。この微分回路は「突変入力」に弱いのである。ゼロからいきなり立ち上がる入力、あるいは突然ゼロになる入力のことである。その苦痛であった。/(…)/私は突然気づいた。眼前の掛け時計の秒針の音が毎分一二〇であることに。ひょっとすると、少女の脈拍は時計に同期しているのかもしれない。私はよじ登って時計をとめた」(中井久夫『家族の深淵』みすず書房, 1995, pp. 17-20)。