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エル・ブリの秘密

フェラン・アドリアの休業とともにエントランスを閉ざしてから約2年、再始動をいよいよ来年に控えたelBulli。そういえば、と思い出したように〈エル・ブリの秘密──世界一予約のとれないレストラン〉を観た。

 

度々聞こえる「Japón」だの「Yuzu 柚」だの「Kaki 柿」だの「日本人のオブラートの奇妙な使い方」だのという単語や話に、これは日本の観客に向けてわざわざ編集された映画なのかと一瞬信じ込んでしまったが、そういうわけではないらしい。世間は狭いが世界はまだ幾分広かろうに、そしていくらフェラン・アドリアが日本料理に多くのインスピレーションを得てきたとはいえ、なぜそんなに日本贔屓な編集をしていたのだろうか。どうせなら、もはや4本足のものは椅子でも食べる日本人にですらゲテモノと映る世界各地の魑魅魍魎的食材群をアドリアとその仲間たちがゲイジュツヒンに仕立て上げる様を観てみたかったなー、と思いながらエンディングの今や見慣れたelBulli的美のモンタージュを眺めていた。

 

この技法(料理ではなく映画の)に関しては、日本でも翻訳出版されているいくつかのelBulli本の方が見事に映し出しているし、新しい料理──この新しさについてはelBulli=アドリアの哲学、というかむしろ試行錯誤から絞り出される奇跡と言おうか──を創り出すチームelBulliを撮す様子は、むしろ情熱大陸かなんかのスタッフがスペインに飛んだほうが巧くやったのではないかと思う。レストランであるからには、客席のシーンなどもほしいところだけれど、これはいろんな事情があってきっと難しかったのだろう。というわけで、映画としては特に褒めるべきところのないドキュメンタリーであった。褒めるところのないドキュメンタリーはその対象の偉大さをすら矮小化しないわけがないので、大変罪深い。

 

しかし、それでも観る価値が皆無なわけではない。「世界一予約のとれないレストラン」であるからには、その雇用審査だってそれなりに間口の狭いものであるはずである。ただでさえ出入りも激しい業種であり、気性も激しい人間たちの集まりである。それが一流となったときには一体そこで何が起きるのだろうか・・・そんな野次馬染みた関心は当然いずれの鑑賞者も大なり小なり隠し持っているはずだ。カメラや編集の編み目を抜けて観察していると、フェラン・アドリアを含めそこで働く人々がぐっと近くに見えてくるだろう。その映像には、映像編集の脆弱さを優に打破する──編集では制御しきれない──生身の人間たちがいる。自分とはまったく違う時間や感覚や空間で生きる人々の疲労や迷いや喜びが溢れていて、決して見飽きることがない。

 

世界一予約がとれない(とれなかった)elBulli。正直言えば、私はelBulliに予約をいれたいとは思わない。私が初めてelBulliを知るきっかけとなったのは、十年以上前アルバイトをしていたレストランだった。そこのまだ若い料理人たちがelBulliをしばしば話題にしては、どこから持ってきたのか日本ではまだ出版されていないelBulliのきらびやかな料理が載った本を調理台に広げながら、「こんなの料理じゃない」となんとなく貶してみせたり、「これならうちでもできるんじゃないか」と頭を寄せ合ってその巧技に見入ったりしていた。(結局そこのelBulli談義の結末は、大抵の場合、「基礎を完璧に覚える前にアクロバティックなことはするな」という元筋金入りのワルといった感じのリーダーAさんの号令に頷くことに終始した。)

 

ただのホールのおねえちゃんであった私にとってのelBulliは、そのときから食べる対象というよりもむしろ目で見る対象であった。それには、香りや味、つまり食べられるという可能性が幾分邪魔なように思えたのだ。それから少し経ってから3万円くらいする大きなelBulli本『el Bulli 1998-2002』が日本で出版された。幼い頃から絵を描いていた美術畑といえば美術畑で育った私も、こんなに立派は図版や画集はなかなか見たことがなかったので、まずはその物としてのelBulli本に驚いたのを覚えている。そしてそれだけにとどまらず、ページを捲るたびに現れる生け花や前衛彫刻のようなオブジェに、珍しく見入った。描いているモデルに見入ることはあっても、既に誰かによって描かれた絵画に見入ることはほとんどない私なので、その文字のないページに見入っている自分がずいぶん珍奇に感じられた。

 

(ちなみに、本屋で何冊か平積みにされたこのelBulli本を気に入った私は、迷いながらも、その当時付き合っていた料理人の彼の誕生日が近いこともあり、思い切ってそれを買ってプレゼントした。まだ10代後半でアルバイトをしている娘にしては、思い切ったプレゼントだったが、それはもちろん、彼にあげれば私もまたいつでもページを捲ることができるという算段あってのことであった。そういえば、数年前に結婚して子供をもち、戸建ての家も買ったとかいう彼は今もこの本を持っているのだろうか?とても保守的な人なので、きっと自分で買ったと言い訳しながら家の本棚の隅に並べているのだろう。またいつか会ったら、elBulli本の行方を訊いてみたい。)

 

あれからまた時間がたって、どういうわけか視覚文化の研究の真似事みたいなことをしている私にとって、elBulliという場から発信される「写真」群は、ガストロノミーの域にとどまらない、美食=美術的/美学的食文化の片鱗、あるいはヒントのように思えてならないのだ。それは写真論でもなく、美食評論でもなく、文化史でもなく、またそのどれでもあるようななにかかもしれない。レストランの仲間たちと出会ってから数年後、次にelBulliとの出会いとなったのが、それからしばらくしてから書店で見かけた菊地成孔さんの『スペインの宇宙食』であった。とりもなおさずelBulliの料理をタイトルにした、すばらしいエッセイ集である。これを読んですぐ文筆家菊地成孔の虜になったのは言うまでもなく、どうやらelBulliということばには実に芳しい出会いを生む秘密があるようだと、エンジェルの香りに包まれて確信したのだった。

 

 

 

エル・ブリの秘密 世界一予約のとれないレストラン [DVD]

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El Bulli: 1998-2002

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エル・ブリの一日―アイデア、創作メソッド、創造性の秘密

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スペインの宇宙食 (小学館文庫)

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