de54à24

pour tous et pour personne

和太多的太陽花, 這是一場盛大的戰事

 

日本では桜が街角や公園からテレビのニュース、そしてウェブサイトまで、あちこちで美しい花を見せているが、ここしばらくfacebookをひらくと日本の桜に混ざって台湾のヒマワリとカーネーションが花を咲かせている。

 

2013年6月に台湾中国間で調印された「サービス貿易協定」に反対する学生を中心としたデモ隊が、先月23日に日本の国会に当たる立法院の議場を占拠、さらには日本の内閣に相当する行政院にまで突入する事態となった。このデモは今もまだ続いており、そして周知の通り、中国(Main China)と台湾の微妙な関係性もまた、何十年にも渡って続いている。その一方で、われわれ日本人にとっては気候も人々も暖かい観光地として、また震災の復興を支えてくれる力強い隣国として、ここ数年は特に馴染み深い台湾だが、そこに暮らす人々が中国、そして日本を含む近隣のアジア諸国に対して如何なる歴史観政治観を持っているのかを知る機会は驚くほど少ない。今回のデモ活動は日頃ヴェールに隠されていた台湾の人々のナショナリズムや対外的な危機感の実体を世界に向けて躊躇なく顕す機会となっている。

 

私のfacebookの「フレンド」のおおよそ半数、実際の友人の数でも大体三分の一は台湾人、あるいは外国籍を持つ台湾在住者である。なかでも、10年来の友人である二人の友人が、このヒマワリ学生運動について地べたからのレポートやニュース、日々の日記をfacebookなどを通じてリリースしている。そのうちの一人は、シカゴ大学から研究員として派遣され台湾の歴史学的調査を行っているアメリカ人研究者であり、もう一人は春休みを利用して台湾に帰省している東京大学在学中の情報科学系の大学院生である。両者ともに私の高校時代のクラスメイトであり、その当時から大変聡明で愛される個性を持った魅力的な女性であった。

 

両者ともに英語と中国語に堪能であるため(加えて前者の彼女は台湾の専門家でもある)、方々のニュースに目を通しながらもどかしさを超えた怒りとともに度々 "English translations are behind the Chinese news, unsurprisingly" と attention を投げかけている。特にアメリカ人の彼女は、連日、仕事の傍らで米英のニュースが伝えない中国語で書かれた台湾のニュースのいくつかを英語に翻訳し続けている。(それをみていると伝えるべきことをどれだけ伝えているのかということの関しては、恐らく日本の新聞もこの場合BBCやCNNと大差ない。そしてもちろん、福島の原発事故が世界にどのように報道されているのかを想像せずにはいられない。)最新のものをふたつほど、以下に転載する。

 

Status update from C[名前は省略], one of the coordinators inside the Legislative Yuan. 

"In the Legislative Yuan for two weeks now, I haven't really had a chance to use a computer and have little time to write anything. On the rare occasions when I have a chance to write something, I often get bogged down in a long stretch of writer's block. 

These days, every day we facing an explosive volume of messages, and spend them taking care of things that come up suddenly - the overt and covert offenses Ma and Jin take, managing affairs inside and outside of our organization. Feeling all kinds of powerlessness and like we're being dragged around. 

Here, we feel faint-hearted when facing mechanisms of the state, shame when facing our compatriots, weakness when facing our responsibilities, dread when facing power, and unease when facing the system of policy making. 

Even so, with all these difficult problems wrapped up together, when we wake up, we still need to continue moving forward. 

This is the site of a grand battle. Not only regarding the economy and our nation. Even more importantly, it is a harsh refining process that tempers us to understand how, in the midst of it all, we hold on to the essentials of being a "person."

The sky is light again, my friends. 

No matter what, despite bearing these wounds, I look forward to us standing together side by side at the finish line."

Translation errors all my own.
* 
(以下、原文)
在立院兩個禮拜,沒什麼機會用電腦,能寫東西的時間很少。難得有機會寫點東西,也往往陷入漫長的失語。
這些日子,每天都在面對各種爆炸的資訊量,和大家一起處理各種突如其來、馬金或明或暗的攻勢,梳理團體內外的關係。感到各種無力和拉扯。
這裡有面對國家機器的怯懦、對同志的愧歉、對責任的軟弱、對權力的畏懼、對決策機制的不安。 
然而所有這些無解的難題攢在一起,醒來還是必須向前。
這是一場盛大的戰事。不僅面向資本與國家。更重要的,是對我們如何在其中守住作為一個「人」的根本底線的嚴苛試煉。
天又亮了,我所有的夥伴。
無論如何,儘管帶著傷口,期待我們還能在終點並肩。

 

Apple Daily at 20:36 says that the riot police were not meant to clear the LY. A DPP legislator started the speculation on facebook, but the spokesperson for the LY says that there is no intention to clear the LY. 
BREAKING:
Taiwan Voice 2014/04/05 20:30

Police changing into riot gear at the Legislative Yuan

According to Democratic Progressive Party Legislator Lin Shu-Fen, a Taipei City councilor gave her information that the National Police Agency ordered the police force from the Special Police First and Sixth Headquarters to gear up into riot armor. The police force are moving towards the Legislative Yuan area. Lin also said that she's reported back to DPP caucus whip Ker Chien-ming for his response. There are also news sources indicating that the police might force evacuate students during early morning hours in these coming days at any time. 

Formosa TV channel interviewed a student leader, saying that the students are conducting the necessary exercises to guard the inside of the Legislative Yuan.

This might be related to the return of former representative to the U.S. King Pu-tsung, now appointed as chief adviser in national security. Upon his return yesterday, he gave an adamant warning to the students and to Legislative President Wang Jin-pyng to end this occupation in a matter of two weeks. He didn't specify what the intentions of the government are, but he is known as the "little dagger" - the person that Ma Ying-jeou trusts to take care of his work no matter at what costs.

Source: Liberty Times and FTV

 

彼女が度々紹介する、TaiwaneseAmerican.org | Highlighting Taiwanese America というサイトはこの件に関しても頻度の高い更新でレポートを続けている(参照:[UPDATED] Taiwan’s Sunflower Student Movement興味のある方は以下も参照;

 

 

高校生の頃、私が当時付き合っていた男の子は、私たちが通う高校に編入してくる以前に地元の語学系専門学校に通っていた。そのため、なぜか私は彼と遊びに出かける度に、その地元の学校の友達のところへ連れて行かれていた。そういうつもりはなかったのかもしれないが、完全に「見せびらかし」感しかなく、向こうの友人たちも私と──というよりも「日本人」と──接触する機会を持って大層高揚しているようで(分かりやすく言えば、20年前の「アメリカ人を前にした日本人」状態)、中国語であれこれと私に質問しては、私が答える度にこちらが戸惑うほどに喜んでみせたりした。いまとなっては付き合った相手が悪かったとしか思わないのだが、それにしても配慮にかけた退屈な関係だった。しかし、そのようにして連れ回された場所で、唯一ある景色がどうしてか今でも深く記憶に残っている。 
 
 
私より先に高校を卒業した彼はそのまま、台湾の大学に進学した。勉強をしないのか出来ないのか、どちらともとれるような人であったので、私たちの高校ではほぼ8割が欧米の大学に進学する(残りの2割は殆どが自国に戻る日本人と韓国人)ところを、彼はそのまま台湾の大学に進学した。つまりは、遊びたい、ということであった。もはや私はこのクズのような男とさっさと別れたくて仕方がなかったのだが、そういう話をするとほとんど暴れるように「いやだ」「なんでだ」「僕のこともう好きじゃないのか」などといったことをわめき散らながら繰り返すので、とにかく絶望的に週末が面倒くさかった。ひどく殴られる前にこちらが先に散々相手を殴り倒し蹴り倒していたので、どうにか身を守れていたことだけは、救いだった。まさに先手必勝、毎天就是格闘了。
 
 
そんな彼が進学したのは、日本だとちょうど京都大学にあたるような国立大学で、自由と独創性に飛んだ校風のなかで彼は経済学を専攻していた。まだ新しい大学ながら、台湾中から才能と未来のある若者たちが集まっていた──そして当然、彼はそのような気鋭の若者たちとはうまく友人関係を築いていなかった。そこでは、キャンパスが市街地から遠くにあるということもあって、学生の多くは寮生活をしていた。狭い部屋に二段ベッドが二台ほど、人数分の小さな机と申し訳程度の本棚詰め込まれて、4人がそこで毎日生活する。ある週末に、行くところもないので私は彼の大学に連れて行かれた。キャンパス自体はとくに特徴もなく、記憶にもあまり残っていない。だが、彼が暮らしている(ということになっていたが、実際のところ彼は昔からの友人のところに転がり込んで生活していた)寮の部屋に連れて行かれ、そのドアを開けたところには、鬱蒼とした雰囲気に包まれた景色がひろがっていた。その光景のなんともいえない感じは、その時に見た映像イメージよりも強くいまも私の脳に記憶されている。
 
 
その日は、確か二人ほど男子学生がその部屋にいたのだが、どちらも目の奥から疲れ切っているような、あるいは、蒸し暑い気候に身体の芯から煮え上がってしまったような、そんな様子であった。薄暗い部屋に向かって中国語で挨拶をしても、返事がひとつあるだけで、それ以上のやりとりはなかった。この素っ気なさは、その時の私にとってひどく有難くすら感じられた。その蒸し風呂のような部屋を見渡すと、誰の者ともつかないないノートやプリントが散乱していた。そしてどの紙片にも、見たことのない数式や記号が淀みなく書き記されていた。私はその後何年か経って初めて村上春樹ノルウェイの森』を読んだとき、主人公が「突撃隊」と暮らす寮の行は、一にも二にもこの寮の風景を拝借して読んだのだった。
 
 
Sunflower Student Movement という文字を焦点も合わずに眺めながら、あの部屋にいた当時大学院生だった青年たちは、いまはどうしているだろうかと思った。もちろん、もう学生ではないだろう。日本よりもずっと多いケースで学生が海外へ留学する台湾では、英語圏の教育を受けてきたか否かという学歴が、経済的安定のみならず政治的安全、さらには命の保証にすら繋がる──病院の手術の順番は、病院長との関係性の深さによって決まるのだ。あの混沌とした薄暗い部屋で、虚ろな目をしていた彼らも優秀な学生ならば、おそらくはいつか持つであろう自分のこどもに外国籍を授けるためにどこか他の国へ留学しているだろう。
 
 

読むともなくクリックしながらサイト間を移行していると、立法院に座り込む若い人々の顔が現れた。写真論で教え込まれた手法に則って何枚かの写真を眺めた。そうして、いまヒマワリを持って台湾の土地で学生運動をしている彼らは「だれ/どんなひと」であって、如何なる危機を前にしているのかを、私がかつてすれ違ってきた友人知人たちの境遇と照らし合わせたりしながら、思っていた。今日でもfacobookで通じ合う台湾の友人は、皆欧米のパスポートを持っている。そしてそのほとんどの場合、ヒマワリ学生運動への関心がアメリカやヨーロッパでの自身の生活──週末の予定、結婚、パーティー、引っ越し──についての関心を凌ぐことはない。同じ「台湾人」でも、台湾のパスポートを──台湾のパスポートしか──持っていない人々と、それ以外の信用のあるパスポートをもっている人々では、対峙しなければならない歴史も境遇も、そして将来も、きっとまったく違うのだろう。

 
 
そして、段々と暖かくなる日本の夜空に、台湾の夜を懐かしく思った。