de54à24

pour tous et pour personne

嘘のないひとの嘘


ここのところ、ものの喩えではなく字義通りの意味で、週に一度は結婚妊娠出産いずれかのお知らせが届く。この知らせの多さは、私が大体四年毎に暮らす場所を変えてきたせいもあろうが、いつどこで出会った者であれ友人たちが新しい生活スタイルを叶える年頃を迎えているということであり、またそれを大きな喜びとともに受け止めているということに違いない。

 

それにしても、昨晩ちょうど夜中をまわるころに届いた一報は、なかでも特に私を厳粛と静粛の深くに喜ばせるものであった。一昨日の夜も眠らぬまま朝を迎えてしまったので、どうしても深い眠りに沈みたかったが、喜びのあまり気持ちがずっと浮いたままだった。頓服を多めに飲んでどうにか寝付いたのは午前3時前だった。そういえば、4、5年前の眠れぬ夜にはよく彼女からの着信に折り返しては、いつもなにともつかない話をしていたのだった。

 

私たちが出逢ったのは、もう10年以上前のことだ。週末のみ開講される件の池袋にある美術予備校のゼミを初めて訪れたとき、その日の記憶をすべてかっさらって行ったのが、彼女だった。170はあるだろう長身に、ジョンの横にいるオノヨーコのような黒く長い髪、その上にいつも古着屋で見つけてきたような謎のチューリップハットを被り、そのハットと同じくらい意味のわからないことを大変な悲壮感とともにしゃべっていたのが彼女だった。作品をつくらせれば、ひとり白装束を纏って山に入っては小さな建物らしきもの(本人いわく「灯台」)を作ろうと下見だかお祓いだかをして、警察に通報されたりしていた。そして、私にはなにかを作ることさえできないとプレゼンテーションで大仰に落ち込んだ。しかし、ポートフォリオを見れば、なんだか火が燃えていたり、白いおばけみたいなのが映っていたり、これはつくろうと思ってつくれるものではない感じが漂いまくっていた。その頃、「自分の感受性くらい自分で守ればかものよ」と語りかけるある一篇の詩を彼女は愛読していた。

 

ぱさぱさに渇いてゆく心を ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
 
気難しくなってきたのを  友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
 
苛立つのを  近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
 
初心消えかかるのを  暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
 
駄目なことの一切を  時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
 
自分の感受性くらい
自分で守れ  ばかものよ
 
茨木のり子「自分感受性くらい」)   

  

教室ではたびたび、優しく、あるいは手厳しく彼女のセルフネガティブキャンペーンを諭す声があったが、私はいつも彼女の失敗や悲観を親しみとも憧れとも尊敬ともつかぬ思いでみていた。彼女自身やその他の人々にとって、彼女のやり方──それは、作品をつくりだす態度から生活のための生き方にいたるすべてのものについてであった──はあまりにも感傷や徒労の多いもののように映っていたのかもしれないが、当時の私には、彼女のそういったあらゆるやり方が、彼女に人生の隅々までを貪欲に生きることを可能にしているようにみえたのである。彼女のネガティブな面は、彼女のポジティブな面と地続きで、したがってその両方を、自分には到底手に入りそうにないものに対する憧憬とともに私はいつも眺めていたのであった──彼女がよく大好きだと言っていたバーボン Four Roses やカルヴァドスをいつしか私も好んで飲むようになっていたように。

 

彼女は私と同様、20才を越えてしばらくしてから大学に進学した。進学先には、美大ではなく教育学部のある夜間の短大を選んだ。本当は制作をしていきたかったようだが、経済的精神的な制限から一度別なことをしてみようと、制作と同じくらい思い入れのあった幼児教育──彼女はシュタイナー教育を日本の幼児保育にもっと取り入れたいと言っている──を学び、その資格を取得することに決めたためだった。働きながらの通学だったので、今度は時間的そして体力的に本当に余裕がなく、しばしば疲れ切った声を電話口からきいた。それでも、ちゃんと2年で卒業までこぎつけたのは、根からの真面目なその気質の賜であった。その前後、彼女は私と同じようにたくさんの精神科の薬をのみながら生活をしており、何度か入院したりもしていたが、それにもかかわらずどんな状況であれ電話越しの彼女の声やことばは「不必要なほど」と形容したくなるほどに優しかった。それはおそらく、他人の存在を愛することと自分の身体を愛することとが彼女のなかでは同一の概念であるからかもしれなかった。

 

それからもずっと、きっと私と同じく生活のどこにも余裕のないような時間を過ごしているのだろうと思っていたが、数年前に突然あるひとと付き合うことになったとの連絡を受けた。そして、それから一年後くらいだろうか、今度はそのひとと一緒に暮らすことにしたと彼女は電話で話した。驚きはしたが、ひとりで暮らしていた彼女が精神的情緒的にもかなり不安定であったのを知っていたので、彼女が互いに許しあえるひとと生活を共にすることができるのであれば、それはとても嬉しいことであるし、第一安心であった。しばらくどうなるかと思ったが、毎日料理や家事を楽しんでしている様子や、お相手の彼と休みが重なれば一緒に美味しいものを食べに行って、すてきなバーで彼女の大好きなお酒を飲んでいる様子をみると、安心は本当のものになった。

 

いい野菜やいいお肉、そしてなにより美味しいものをちゃんと知っている彼女の手料理はどれもとても空腹を誘うようで、私はどうして自分がつくるものとこんなに違うもののようにみえるのだろうといつもその写真をみながら不思議に思い、「はやく時間つくってうちにごはん食べにおいでよ」と言っていた彼女がキッチンに立って手際よく素朴ながらも体から心まで喜ぶようなすてきな料理をつくる姿を想像するのであった。そういえば、彼女は昔からよしもとばななが大好きだったのだが、彼と同棲をするために引っ越すからと言って古いがまだちゃんと使える映写機と大きな段ボールいっぱいの本と映画のパンフレットを譲ってくれて、そこに『キッチン』が入っていたのだった(だから、いま私の書架には福武書店の『キッチン』と角川書店の『キッチン』が仲良くならんでいる)。

 

夢のキッチン。

私はいくつもいくつもそれをもつだろう。 心の中で、あるいは実際に。あるいは、旅先で。ひとりで、大ぜいで、ふたりきりで、私の生きるすべての場所で、きっとたくさんもつだろう。

 

吉本ばなな「キッチン」*1

 

──そういえば、私は彼女が好きなものをたくさん知っているけれど、彼女がきらいなものについてはほとんどなにも知らない
 
 
彼女はなにより出逢ったころからずっと、嘘のない誠実な人間であった。彼女が、まわりを呆れさせるほどにネガティブだったのも、おそらくそれによって自身の精神を病んだのも、なかなか人生がうまくいかないように思えた時が続いたのも、すべてその正直さ、自分への嘘のなさのためであったように思う。そして、私が彼女に憧れているのはほかでもなく、彼女が発することばひとつ、撮った写真一葉、描いた絵一枚、それから愛する音楽や詩、小説や映画を語るその声すべてに「嘘のなさ」が可能にする「優しさ」が明らかに感じられるからであった。そして、世界と歴史のあちこちで使い古された「嘘のなさ」や「優しさ」ということばが、ほとんどの場合空疎で本当の意味を欠いていることを、私は彼女に触れる度に思い知るのである。そして彼女の結婚は、まったくもってその嘘のない優しさによって導かれたものであるように思われ、また時にとめどなく消極的で否定的であった彼女の世界がようやくその真の意味を証明したかのようにすら思われ、私は永遠に拡がっていくような祝福の思いでいっぱいになっている──最大の言祝ぎをここに。

 

嘘のない彼女だが、一番嬉しいときにだけ、彼女はその感情を表さない。だからきっといま、彼女はその人生のなかで第一級の喜びを抱きしめているに違いない。おめでとう、私の大切なひと。

 

 

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*1:吉本ばなな『キッチン』福武書店, 1991, pp. 67-68.