de54à24

pour tous et pour personne

dépaysement: 不安と順応

昨年末までの約一年半あまりを、ほとんど十分な休みをとることなく過ごしてきてしまった代償として、ここ数ヶ月の心身の不調と向き合わねばならなくなっているのだが、不調の三ヶ月目が終わろうとするいまとなっては、一年半の緊張による疲労よりもむしろここ三ヶ月の不調による疲労に憔悴しきっているように感じられる。言語化によってその手に負えない懶いからどうにか距離をとることで、寸前のところで癲狂の手前に留まろうとしている。もう何年もこのような不調(と好調の反復)を味わっているのにもかかわらず、その不調(と好調)は出会う度に真新しくまったく慣れるところがない。この永遠の不慣れとは一体なにに起因するものかとしばらく考えていたが、これといったものは思いあたらなかった。その代わり、大学の友人がたまに自身の生活に取り入れているという断食の話が頭を擡げた。彼女は、自分自身の身体への「飽き」への処方として時折プチ断食を行うのだという。私にはこの先20年は訪れることのなさそうな発想であるが、私は自身の身体に慣れを覚えたことなどいまだかつてないと言ったら、それはそれで今度は彼女が目をまるくして頭を傾げた。

 

私がいつまでたっても自身に慣れないのは、あるいは定期的に私を襲う心身の不調が私を世界から引き剥がすためであろうか。それとも躁と鬱の慌ただしい終わりなき反復のせいだろうか。いずれにせよその慣れのない世界に生きる身としては、なにかに慣れることや馴染むことの心地よさに対して人一倍執着せずにはいられないのであって、またそれ故に却って自分の人生には慣れや馴染みというものが極端に少ないのだと思われるのだった。

 

思えば、この未完成の慣れや馴染みというのは、20世紀初頭にシュルレアリストたちが用いた二つの代表的方法論の一、デペイズマン dépaysement が求めたものに極めて酷似しているように思われる(ちなみにもう一方の方法とは、アンドレ・マッソンやジョアン・ミロが行っていた自動デッサン dessin automatique である)。ロートレアモン伯爵『マルドロールの歌 Chants de Maldoror』*1から始まり、アンドレ・ブルトンによって名付けられたとされるデペイズマンは、分離や剥奪を現す接頭語 dé と国や故郷を意味する pays からなる動詞 dépayser (ある国から引き離して他の国へ追放する)の名詞形で、「要するに、本来の環境から別のところへ移すこと、置き換えること、本来あるべき場所にないものを出会わせて異和を生じさせる」( 巖谷國士『シュルレアリスムとは何か』筑摩書房, 2002, p. 84)ものであり、シュルレアリスムの世界を現前化させるための手法であった。例えば、マルセル・デュシャンのレディメイドのオブジェやマックス・エルンストのコラージュと言えば、思い当たるものも多いだろう。

 

          f:id:by24to54:20140122202452j:plain *2

 

デペイズマンにも、またデッサン・オートマティックにも通底するシュルレアリスムの基本理念とは、ほかでもなく作者および観者が行使する主観性の介入を排除することによって世界の姿──われわれが見慣れた世界の別の/本当の姿──を改めて真新しく見出すというものである。個人的な雑感を述べるとすれば、シュルレアリスムの最も興味深い点は、この主観の排斥によって人間の(ロマン主義的)内面性と如何に──そして本当に──決別し得ているのかという観点から見出される。そしてこの主観と内面の排除は、おそらく人間の実存的問題をより露わにするものとしても機能しているだろう*3。そこでは、自我と世界の関係性はもとより、より根本的なレベルにおいて〈見る〉という経験そのものにずれが生じている──デペイズマンは本質的にこのずれを生じさせるという点で、シュルレアリスムにとって有効なのである。

 

〈見る〉ことは、もはや対象を単に視覚的に捉えることを意味しない。〈見る〉という経験は、その対象であるイメージ──権威的で拘束的なコード化されたイメージ──を引き裂く。そして、〈見る〉ことは、そのイメージの裂け目から噴出する名付けようもない──それどころか一秒たりとも一形態に留まることがない──鮮血の如きものとして理解されることとなる。つまり、重要なのは〈見る〉ということが対象把握の手段ではなく、対象なき一つの経験、それも多少の曲解をおそれずに言えば、内面を疾うに越えたところにある主客なき一つの経験であるという点にある。(ここでは衍義する余裕はないが、例えばこれはラカン精神分析における精神病理論、すなわち象徴界におけるシニフィアンの崩壊との関係においても勘考する余地があるだろう。)なるほど、そのようなの脱主観的経験に満ちた世界をさ迷いながら、ひとは常に得体の知れない〈見る〉という体験に晒されている。それはあたかも幻覚体験の文法にほとんど等しい。〈見る〉体験は、存在の裂け目となり、そこからさらにまた得体の知れない環境や対象が主体に侵入する。ここにきて主体はほとんど解消され、ついには「「オブジェ(object=客体)」「オブジェクティフ(objectif=客観)のほうを表に出した」(巖谷, op. cit., p. 14)主=客体世界へと踏み入れるのである。そこでは当然、安定することのない自己存在は慣れの対象やトポスである以前に、不可能な幻想となる。 

 

順応のない世界は、そういう意味で確かにシュルレアリスティックであると言える。一方で、慣れというのは美術史文学史の用語でいえばマニエリスムにあたるだろう。そして、マニエリスム研究の旗手といえば、『迷宮としての世界』『文学におけるマニエリスム』のグスタフ・ルネ・ホッケであるが、そういえば、ホッケ『絶望と確信』において「マニエリスム的遊戯-原則」に触れながら、次のようなことを述べていた。

 

あれこれの象徴の〈多価性〉は、〈あるものを別のものにおいて L'un dans l'autre〉というマニエリスム的遊戯-原則の賜であった。あるものを別のものへ、また別のものを通じて、とはすなわち不一致の一致を通じて、これがマニエリスム的遊戯-原則である。私たちはここで付言しておかなくてはならないが、ある種の象徴の無政府状態[アナーキー]は避け難いのである。なぜならこれこそはシュルレアリスムの〈革命的〉遊戯-反応に特徴的なことながら、シュルレアリスムは、伝統的諸象徴と取組みながらも、規則なきゲームを、とはつまり無意志的に(自動的な)無意識の、挑発的な恣意の、しかしながらまた計算された偶然の遊戯を営むものだからである。/シュルレアリストたちの〈自動〉記述は、不安を母胎にしているだけではなくて〈無意識の束縛を解く〉ための文学的手段としての役も演じているが、このことからして、これに対応するのが〈象徴主義的〉な、〈自動的[オートマチック]〉な絵画技法である。このような〈恣意〉は自由の不可欠の要素とされている。そして新しい哲学的人間学においては──不安の体験が自由のための前提の役を果たすのである。恣意(Willkür)!(グスタフ・ルネ・ホッケ『絶望と確信──20世紀末の芸術と文学のために』種村季弘訳, 白水社, 2014, 183-184)

 

すなわち、〈あるものを別のものにおいて L'un dans l'autre〉というマニエラ=手法(さらには、「象徴の〈多価性〉」)とは、シュルレアリスムマニエリスムから受け継いぎ、展開させた遊戯なのである。順応(マンネリズム)は、やがて現実世界の文法を揺るがせる(シュルレアリスム)──不安・・・・・・そして、恣意。順応と不安は、かくして親類関係にあることが明らかとなる。さらに重要なのは、順応が不安から生まれたのではなしに、不安が順応から生まれたということだ──マンネリズム/マニエリスム(順応/慣れ)の極北は、シュルレアリスム(不安)であったということだ。さらにホッケは、「〈人〉は何にたいして不安を抱くのか?」(ホッケ, op. cit., p. 184)と問いながら、それに一つの解答を残した二人の不安と実存の大哲学者を招聘する。

 

キルケゴールハイデッガーは、思えば、〈不安〉を次のような体験として言い表している。すなわち、〈人間が彼自身の外部と彼自身の内部の自然の諸力に取り囲まれて、現存在の只中で自分自身を発見するするときに彼を襲う体験〉と。〈だがまさしく不安こそは人間を現存在のうちなるある高次の関連の予感へと導くのである〉・・・・・・〈(不安は)実存という現象にたいする共感的反感であり、同時に反感的共感(キルケゴール)である〉。〈不安は、言葉を換えて言うなら、個なる人間のうちに姿を現す二つの世界、すなわち外部の、自然に規定された世界と精神に規定された世界との間の交点である。精神対自然。自由対必然〉。(…)〈不安を抱くとは存在様態としては世界-内-存在の一つのあり方である。何にたいして不安かは投企された世界-内-存在である。〉(…)[また、心理学者G・R・ハイヤーも同様のことを述べている。]〈本来的な不安は、もはや植物のようにもつれ合ってもおらず、もはや衝動的にのみ駆り立てられてもいないある生物が自然の胎内から身を起こすときにはじめて存在し得るのである〉。動物は畏怖[おそれ]を知っているが、不安は人間だけが知っている。重要なことは、〈外部〉にたいする不安もあれば、〈内部〉にたいする不安もある、ということである。つまり、環境の危険に対する不安もあれば、自己の人格の無意識の深層にひそむ無気力な力にたいする不安もあるのである。(ホッケ, op. cit., p. 184-185)

 

幻聴や絶望的倦怠とともに目覚めるたびに真新しい世界に対しても、また特にうつ状態にて顕然化する「自己の人格の無意識の深層にひそむ無気力な力」に対しても、確かに私は不安を抱く。内的不安と外的不安は、シュルレアリストのデペイズマンによってもたらされた主客なき世界における「象徴の無政府状態[アナーキー]」の原因であり結果である。おそらく、伝達のためだけではなく思考のための言語を十分に獲得した瞬間から、アナーキーの構築は始まっていたのだろう──私が日本や日本語にある種の避けがたい居心地の悪さを感じるのは、それがどんどんとアナーキーのほうへと向かっていくからかもしれなかった。そんなふうに不安について考えながら、ベランダから空をみていた。水彩絵具ではとても描けそうにない冬の空は、水浅葱色から真朱色に至るグラデーションによる陶器の面を思わせた。そういえば、大学の研究室で郷原佳以先生の博士論文を書籍化した『文学のミニマル・イメージ──モーリス・ブランショ論』について話していた先輩が、この書籍のカバーの色を「浅葱色」と呼んでいたのを思い出した。それは青でも緑でもなく、コバルトグリーンペールに少しのシルバーホワイトを加えたような色だったが、和名では浅葱色ということを私はそのとき初めて知った。浅葱色の下で、私は今日も十分に不安で、十分に疲労していた──言い尽くし難く。

 

ブランショは、この反-偶像破壊的な思考のゆえに、語りえぬものを前にして、決して沈黙しなかった。見たとおり、物語「終わりなき対話」の後半部では、突如として現れた「疲労」の声が対話者の一人を難詰する。それは、「語ること、それは見ることではない」、つまり、語ることとは何かを眼の前にまざまざと浮かび上がらせて明示してくれることではないにもかかわらず、対話者の一人は語ることによって「疲労」に、そして「中性的なもの」に近づけると信じている、言い換えれば、語ることを中断するものに語ることによって近づけると信じてしまっており、それがゆえに語りえないものを裏切っているからである。「疲労」にとって、これは許しがたい欺瞞と映るようである。しかしながら、「終わりなき対話」が最終的にわれわれに教えてくれるのは、このような条件のもとでこそ語るということ、つまり語りえない何かにけっして辿り着けないどころか却ってそれを裏切ることになってしまうという救いようのない状況においてこそそれについて語るということが、「われわれに残された最期のチャンス」なのだということである。(郷原佳以『文学のミニマル・イメージ──モーリス・ブランショ論』左右社, 2011, pp. 305-306)

 

デペイズマン、あるいは異化が不安との間に取り結ぶ関係について考えすぎたところで、それは人生の駆動力のようにすら思えてきた。「本来の環境から別のところへ移すこと、置き換えること、本来あるべき場所にないものを出会わせて異和を生じさせる」こと、それは人生の要所要所で現れる変化や別れについての謂いであるのではないか。いまの生活を構成するあらゆる要素が、過去のいつかの時点で私の人生に参入してきたものである。まだ得体の知れない人や場所、物や出来事は、どんなものであれその時点では、私の人生や生活にとっては「本来あるべき場所にないもの」であり、不安であった。そして、その人生と生活における異化作用による不安は、確かに「不安の体験が自由のための前提の役を果たすのである」というホッケのテーゼに共鳴する。

 

三週間ぶりにようやくたどり着いた診察室では、ここのところの不調についての報告と引き替えに三度目の増薬を試みることとなった。3粒の鬱金色、4粒の鉛丹色、5粒の白色の錠剤。12粒の眠り薬が血の通った暖かい掌の上で散らばる姿が妙に滑稽にみえた。眠りですら潰せないいまここに抱える具体的な不安を、それがどうして自由と関わるのであるかを、私は篤と見届け、語るだろう。

 

 

 

*1:Il est beau [...] comme la rencontre fortuite sur une table de dissection d'une machine à coudre et d'un parapluie !(解剖台の上でのミシンとこうもりがさの不意の出会いのように美しい。)──ロートレアモン伯爵「マルドロールの歌」(1969)より。

*2:マックス・エルンスト《二人の子どもが小夜鳴鳥に脅かされている Two Children are Threatened by a Nightingale》1924, ニューヨーク近代美術館所蔵

*3:もちろん、シュルレアリスム実存主義の関係についての研究も既に多く存在する。i.e. フェルディナン・アルキエシュルレアリスム実存主義」内田洋訳, 『ユリイカ──ダダ・シュルレアリスム特集』Vol. 13, №6, 1981, p. 332-349. また、ジョルジュ・バタイユ、特に「ドキュマン」におけるその仕事は否定的なかたちではあれシュルレアリスムの影響をみてとることもでき、とくにそこにおけるイメージの使用についてはデペイズマン的効果のようなものがしばしば指摘されている。i.e. UT Repository: 長井文「『ドキュマン』におけるバタイユのsousréalisme : 人間の根源を目指して」, 『仏語仏文学研究』東京大学仏語仏文学研究会, Vol. 29, 2004.5, pp. 127-146. See also, ジョルジュ・ディディ=ユベルマン「いかにして類似を引き裂くか?」鈴木雅雄訳,『ユリイカ──バタイユ特集』青土社, 1997. 7, pp.248-265. 「そもそも既にバタイユ本人が、なんらかのやり方でこのイメージの「集束的」体制を引き裂いていたのではないか。類似にももとづいたいわば遠心的な体制に対しての正確な逆モチーフをもまた、彼は展開していたのではないのか。それはおそらく、可動性をめざし、またイメージのあらゆる実体性への批判をめざすような体制であろう。その新しい体制は、規定的なものとして感じ取られたイメージという「拷問契機」に対し、一つの「享楽的契機」を対置するであろう。それはとめどもなく不安定で新奇な、挑発的で肯定的なものとして感じ取られたイメージ──たとえそれが苦悩に満ちた、引き裂くような、残酷で破廉恥なイメージだとしても──という、喜ばしき知識なのである」(ジョルジュ・ディディ=ユベルマン, op. cit., p. 250)。