de54à24

pour tous et pour personne

存在の耐えられない弱さ

 

ぼくの所属している美学会でも、かつては想像もできなかったようなテーマで研究発表したり博士論文を書いたりすることが許されている。それは、もちろんいいことである。ただ、ぼくが問いたいのは、そのことによって本当にぼくたちは20年、30年前よりリラックスし、「クソ真面目」ではなくなり、解放されたのだろうか? ということだ。つまりこの物故したプラグマティストの思想をぼくが要約して述べた"Take it easy!"という呼びかけに対して、今のぼくたちは心から「もちろん、今は何もかも許されるようになり、ハッピーです!」と答えることができるのだろうか? ということだ。

あからさまに息子を束縛する家父長的な父は死に絶えた。「お前の人生だ、個性を活かして何でも好きなことをしなさい!」と今の多くの父は子供たちに告げる。だがこれは本当に、抑圧的な関係が消滅したということを意味するのだろうか? むしろ、ぼくたちはかえって自由を奪われ、強制ではなく自分の意志から「クソ真面目」に生きることを余儀なくされているのではないか? 

 

30年について考えている - tanukinohirune

  

 

 久しぶりに吉岡洋先生のブログを覗くと──ブログというものはどことなく、書き手の家や研究室を訪れるような雰囲気がある──、実に吉岡先生らしい文章がしたためられていた(吉岡先生はまとまった単著は書かれていないが、例えば長きにわたって雑誌「Diatxt」を編纂されていたり、上記のブログでも言及されているように芸術の範囲にとどまらない先鋭的な共著を残されており、また同時にハル・フォスター編『反美学』をはじめとする多数の翻訳を手がけられている)。私はまだ直接吉岡先生の講義にでたことがあるわけではないのだが──行けばきっと楽しいにちがいないのはわかっているのだが、精神的にキャンパスが遠いなァ……などと思っているうちに一年が過ぎゆきそうな今日である──、学部時代仲のよかった友人が吉岡先生の門下生であったり、いまの研究室の同期が吉岡先生の授業に毎週熱心にでていたりするので、学問的範疇にとどまらないその美学思想をしばしば耳にしている。そうでなくても、例えば一度でも彼が壇上にいる学会やシンポジウム、アートイベントなどを訪れてみれば、その堅固な知性が生み出す愉快と軽快に多くの刺激を得ることだろう。

 

そんな吉岡先生が、かつて権威と慣習で塗り固められた先達たちの仕事にみずから投げかけた "Take it easy!" というメッセージを顧みようとしている姿は、それだけでなんとも切実な問題意識を喚起するようである。「むしろ、ぼくたちはかえって自由を奪われ、強制ではなく自分の意志から「クソ真面目」に生きることを余儀なくされているのではないか? 」── 一見、一昔前よりもずっと多様性を増したようにみえる社会*1だが、その多様性は必ずしも、個々人の生をより自由にしたとは限らない。かつては理念でしかなかったのであろう、私たちが初めて経験するその具現化された「自由」とは、一体なんなのか。私たちは、これまで頭で描いてきた自由という理念にとららわれることなく、むしろそれを一度は脱ぎ捨てて丸腰でその正体と対面する必要がある。フーコーの生政治を参照するまでもなく、「意志に基づいた自由に生きている」という実感自体が権力によって生み出されている統制のかたちや結果であることをこそ、実感する必要がある。

 

私は、いつの日かやってみたいと長年思っていることがある。身体や精神の具合がどうしようもなく優れないとき、それによって存在のさまざまな側面が弱りきっているとき、そのある意味で特別な状態にある知覚や感性が自然と見いだしてきたものの存在を、客観的に検討することができるかたちにまとめてみたいというものである。それを通して再度ある程度心身が回復した状態で、健康というチューニングでは見いだすことの難しいなにものかがそこにあるのか、あるとしたらそれはどうような特徴をもつものなのか、そういうことについて考えてみたいのである。それは言い換えれば、懦弱な私のスタイルを探求することである。

 

大学に入る数年前から私が師として崇めていたある年上の友人がいた。彼はそのころまだ東京藝大を卒業したばかりだったが、木幡一枝研究室において長きに渡って芸を修めていたこともあり、木幡さん(東京藝大、特にIMA科では作家やアーティストでもある教員たちを「先生」と呼ばないのが風習であるらしく、それを無意識に聞いていた私もなんとなく「木幡さん」と言ってしまっている)からの話や木幡さんが訳出された本などの情報が実にダイレクトに聞こえてきていた。その頃私が熱心に読んでいたスーザン・ソンタグも、元はと言えばソンタグさんと木幡さんが非常に仲がよく、その話をきいていたためであった──そして、「スタイル」というのもまたスーザン・ソンタグの初期の仕事からの影響に違いない。

 

そんなスーパーレディの木幡さんの話から漏れ聞こえてきた数々のカッコイイ大人たちの一人に松岡正剛さんがいる。「千夜千冊」や「編集工学」がさまざまなメディアに取り上げられているので、いまやもうお馴染みだろう。やはりソンタグと同じく大学進学以前に、私が初めて読んだ松岡さんの著作『フラジャイル』に記されていた「ウィーク・ソート」には、その当時ずいぶん心を弾ませた覚えがある。第一章 ウィーク・ソートで?のエピグラフはこう謳う。「敗北の美学のみが永続的だ。敗北を解しないものは敗者だ。・・・・・・人がもしこの極意を、この美学を、この敗北の美学を理解しなかったら、その人はなんにも理解しなかった人だ」(ジャン・コクトー「阿片」堀口大学訳)。そしてその章には、つぎのようなこどもの話がでてくる。

 

なぜ、世間(社会)はこのような他人の欠点や弱点に異常な反応をするのだろうか。/もっと妙なのは、これも誰もが知っていることであるが、きまって子供たちがひとりの欠点や弱点をすばやく見出すということだ。私も子供のころに何度も叱られた。目の不自由な人やぼろぼろの身なりの人がいると、すぐに指をさしたくなったからだ。(…)子供たちはその場の誰かが変なことをいってもすぐに反応するものだ。どっと笑い、どっと差別する。なぜなのか。子供たちはつねに「異質」に敏感なのである。(松岡正剛『フラジャイル──弱さからの出発』筑摩書房, 2005, pp. 26-27)

 

世界に馴染みきった大人は叱るが、そうではない未熟なこどもの感性をくすぐるものがある。(しかし当然、大人だって完全にその感性を持ち合わせていないわけではなく、大体の場合は、ただ単に世間というものの手前、体裁という仮面で隠しているだけである──「われわれだって子供たちと大同小異だ。自分にも他人にも、たえず欠点や弱点をあてはめる。いったん自分にあてはめられた欠点や弱点はしだいに記号化し、やがて街の看板のように大きくなってくる。急に焦るのはそのときである。しかもそのときは、すでに自分や他人の弱さは周知の事実になっている(ように思われる)。おもいのほか、自分の弱点が社会的な異質や異常として拡張されていることもある」(Op. cit., p. 27)。)「子供」の感性とはちがうが、懦弱な私の感性もまた彼らと同様の無知と知、敏感性と鈍感性をもっているような気がする──単純にいえば、心身ともに落ち込んでいるときにダンスミュージックやロックミュージックは聴かないということであり、あるいは風邪を引いて熱があるときにいつもより布団が自分の身体をいたわっているのを感じるというようなことである。

 

ガタリ風に言い直せば、具合の悪さを契機に自分が世界と繋がりなおされ──これがつまり松岡正剛風にいえば「フラジリティ」であろうか──、それによって今までとは異なる世界が現前しているということだろう。フラジャイルな世界。

 

私にとっては例えば、渋谷慶一郎〈ATAK015 for maria〉やGoldmund〈Malady of Elegance〉、ウジェーヌ・アジェやアンリ・カルティエ=ブレッソンの写真、コーヒーを淹れたばかりの部屋の暖かな香り、暖かい豆乳でつくったカフェオレ、ティエリー・ミュグレーの香水ANGEL、二胡の音色、田村隆一パウル・ツェランポール・エリュアールの詩。あるいは、こうして書き残している文章(メールでもだめで、MS Wordに向かうのとも違う、環境や文章の宛先など、ちゃんと文章を書けるようになるためにはあらゆる条件が整っていなければならない)・・・・・・こういうものが、不調のときでも心と身体を許せているものであり、さらにはその幾つかはむしろ、不調のときにしか接しないようなものでもある。そういったものになにか共通するものがあるかもしれない。現行の(美学美術史的)用語では掬いきれない美的概念が、そこにはあるかもしれない──元気になってしまうと忘れてしまうので、大切なものがみつかったときにはどこかにちゃんとメモしておかなくてはならない。

 

自分のフラジリティが優勢になったとき──うまくいかない、苦しい、どうしようもないとき──のために、心地の良いものを手控えに残しておくと、どんなに具合が悪い時でも、どんなに絶望しているときでも、あるいは生と死の差異を失いかけているときにでも、混乱する頭と心を委ねるところがどこかに必ずあるという世界への信頼を育てていけるかもしれない。(そして、美学研究において美についての議論が必要とされている正しい方法で、人間の生に関わる倫理的位相と関連付けられるためには、弱められた生がそれでも外界にみることができるものについて考えることが示唆になるかもしれない。)つまり、easy を自分のなかに取り込むことができるかもしれない。そして、元気な日々の凝り固まった世界に easy をそっと混入することができるかもしれない。

 

懦弱の私の感性が世界のなかにみつけだすものたちは、「クソ真面目」なモードを切り替えてあの「Take it easy!!」を体現するスイッチ、あるいは場のようなものである──病気や症状で堕落させられるということはまた、執念深い「クソ真面目」な生や社会の網目からするりと流れ出て、雁字搦めになった世界を脱臼させ、そこから一歩ずれてみせるその技法なのだから、その感覚が easy を見出して生きるのに長けていないわけがない*2

 

私は、「弱さ」を「強さ」からの一方的な縮退だとか、尻尾をまいた敗走だとはおもっていない。むしろよわよわしいことそれ自体の中に、なにか別格な、とうてい無視しがたい消息が隠れているとおもっている。/結論を言うようだが、「弱さ」は「強さ」の欠如ではない。「弱さ」というそれ自体の特徴をもった劇的でピアニッシモな現象なのである。それは、些細でこわれやすく、はかなくて脆弱で、あとずさりするような異質を秘め、大半の論理から逸脱するような未知の振動体でしかなく、引きちぎられた断片でしかないようなのに、ときに全体をおびやかし、総体に抵抗する透明な微細力をもっているのである。(Op. cit., p.16)

 

 

 

 

 

 

*1:この社会の「多様性」というものがなんとなく訝しいのは、それがたとえば人間個々人の個性というレベルの事象として受け止められているからではないだろうか。生まれてきた時点ですでに遺伝子レベルではまったく個別的である個々人の人間を多様性という概念で捉えたところで、多様性に富んでいるのは至極当然のことである。だから、社会や生活において多様性が十分に意味のあるものであるためには、単に個々人が互いに同調しすぎず排除しないという姿を称賛したところでほとんど意味はない。「多様性」の問題の本質はむしろ、「スタイル」というレベルにある。スタイルとは、一個人の態度を別なだれかによって発見される──すなわちその二者の間には明確な差異がある──ことを必要とし、また、その一個人の態度がある種のスタイルとして立ち現れるとき、それはもはや単なる個別性という意味での個性ではなく、その個性的なスタイルを生成たらしめた二人以上の(複数の)人間の存在が意味されている。「多様性」とは、近代自我を超えたこのような位相において初めて容認されるべきものであるだろう。個々人がそれぞれどのような生活スタイルをもつのか、どのような思考や感性のスタイルをもつのか、どのようなナショナリティやセクシュアリティのスタイル、政治的な、あるいはイデオロジカルなスタイルをもつのか──このような観点が「多様性」を考え、真に具体化してゆくにあたり不可避的に重要であると考えている。

*2: ただ一つ留意しておきたいことがあるとすれば、20年、30年前にはまだ十分に有効な響きであったかもしれない「弱さ」や「軽さ」という語は、今日ではもう十分な堅苦しさをまとったもとになってしまっている。もうそれは言語であるかどうかもわからないが、私たちは21世紀のためにこれらに代わるものを見出だす必要があるだろう。