de54à24

pour tous et pour personne

ラボルドの城

今朝は私がすきな歴史家のひとりであるカルロ・ギンズブルグの本としばらく睨めっこしていた。そろそろ読めてほしい。具合が悪いとそのことばかりを考えてしまってよくないから、本に願うようにして読みたい本を開く。大晦日の夜に初詣に出かけて、元旦にお寺にお参りして以来、ずっと部屋にとじこもっている。身体が重くて何をするのも億劫だし、時間的奥行きを持った思考ができなくなっている。いつどこで何があるのか、いまがいつでどこにあるのか、考えようとするとひどく混乱し、ひどく疲弊する。こういうときは、大好きな書斎にこもることもできない──一番心地のいい場所は、夜空の下のベランダ(なにもできないときは、自分が一番居心地の良い場所を探すのがいい。少し気分が変わると、居心地の良い場所も自然に移っていく)。

 

精神的に落ち込んでいるとき、私は特に昼間の太陽をひどく怖れ、そして太陽が世界を照らしている事実によってとても憂鬱にさせられる。だから、月の支配下となる夜に逃げ込むと、憂鬱だった昼間がやっと終わってくれたことに心を緩ませ、そして眠るべき時間をも安堵を噛み締めるための時間に当てるために起きている。眠りたくないのは、眠るのがいやなのではなく、昼間に硬直しきった心身を弛めて、ゆっくりと呼吸をして生きた心地を感じたいからだ。いつも死ぬ恐怖か死の希求に埋め尽くされていては、精神どころか神経も身体ももたない。

 
テレビがあれば、淋しさのあまり見もしないテレビをつけては、遂にはベッドに入るまで消すタイミングを失っているだろう。しかしそれは神経をひどく摩耗するから、テレビを買うタイミングを失ったまま新年を迎えたこともまた恩恵と思う。私はこの部屋も、ここにある家電やカーテン、家具などもほとんど即決で買い揃えた。買うべきものが多すぎて、どれにしようかと悩むのがあまりに負担に感じられたので、とにかく速く決めて買った。それで満足だった。しかし、テレビはあまりに多くの種類があり入れ替わりも激しく、なんとなく近づきがたく感じていて、そしてそのままになっている。物理的金銭的なことのみならず、むしろそれよりもずっと時間や神経への影響を懸念しているのかもしれない。
 
 
私は初めて学校に行かなくなったとき、ただひたすらにテレビ画面を見続けた。頭が朦朧とするのを感じながら、テレビから離れるのはいやだった、というか怖かった。テレビを消せば、私の頭は必ずなにかを考え始め、私の心は不安に襲われ、私はまた嘔吐し泣きながら、もういやだもういやだ、と小さく叫ぶしかない。死にたいとは思わないけど、具合いが悪いときはもう生きているのがいやです──東北大学の大学病院の精神科、暖かい部屋で若い女性のカウンセラーに死にたいかと尋ねられて私はそんなふうに答えた。この頃はまだ、小児うつというものが存在していなかった。病気が存在したりしなかったりするというのは思っている以上に恣意的で偶然的結果だったりするので、疫学的な意味合い以上に、なんだかとても奇妙である(私が精神的疾患を扱う場所は病院の精神科のみではない──例えば、文学や哲学、それを学び研究する大学だって精神科病院と同等な程度に病を扱う場である──と考えるのもそのためである)。

 

フェリックス・ガタリのラボルド病院(Clinique de La Borde)設立運営に関するエッセイを読んだ。ガタリが「ラボルドの城」と呼ぶラボルド病院は、日本ではワインの産地としてよく知られるフランスのクール・シュヴェルニー(Cour Cheverny)にある。創設は、ベトナム戦争や五月革命より以前の1955年、まだ多くの精神病院が閉鎖と監視によって運営されていたころである。精神病院の在り方の根本的改革の必要性を考えていた若干20歳のガタリが「制度論的精神療法」の実践の場としてラボルドの設立に携わった。今ではむしろドゥルーズとの共著によって名前が知られるガタリであるが、その中核的仕事は書斎から書き物を生むというよりも、こうした活動家的側面を持つものであった(つまり、ドゥルーズは自らの著作にそのようなガタリを必要としていたのであり、ガタリによって書かれた書物はある意味でフィールドワーク性が生んだものなのである)。

 

このときから、私は精神病を知り始めるとともに、制度論的な作業が精神病に及ぼす影響をも認識し始めたのです。この二つのアスペクトは深く結びついています。なぜなら、精神病は、伝統的な刑務所的監禁システムのなかであつかうと、その本質的な特徴が歪曲されてしまうからです。精神病がその本当の相貌を現わすことができるのは、ひとえに適切な制度のなかで集団的生活をするという手法を等してのことです。(…)精神病の本質は世界との関係の持ち方の違いに由来するのです。(フェリックス・ガタリ『精神病院と社会のはざまで──分析的実践と社会的実践の交差路』森村昌昭訳, 水声社, 2012, pp. 90-91)

 

ラボルド病院は、日本でも例えば北海道のべてるの家などともいくつかの共通点があるだろうし、あるいはかの有名な村上春樹ノルウェイの森』にでてくる阿美寮のような施設であるといえば想像しやすいだろうか。入院者とそこのスタッフの垣根は可能な限り除けられており、普通の病院施設が病を中心に設計されシステマティックに動いているのとは異なり、(例えば、まるでレイコさんがナオコの介添人であるかのように振る舞ったりするように)ラボルドにある社会は(精神)病というものを中心から少し逸れたところに置き、そこで暮らす人々はさまざまな役割をつねに交換しながら過ごしている。

 

いわゆる作業療法における作業療法士などの医療関係者と患者と呼ばれる人々の関係──前者が後者ににこなすべきタスクを与え、その業務内容を設計する──ではなく、例えば看護師とその他スタッフ(料理係や清掃係、クリーニング係など)が業務を交換することのシステムを設計することにより、人的循環をもたらし、それによって施設全体の空気をかき混ぜながら新しい風景を作り上げるというのが、ガタリ流ラボルド的試みであった。それによって、「「実践的惰性態」としての集団の機能に従属する生活スタイルの空疎な反復的性格」とサルトルが定義付けた「集列性」から脱却することを目指し、そこに布置された「制度論的機械」によってラボルドが確かに変わっていくのをガタリは確かに感じていた。

 

われわれが多様な活動システム、とりわけ自分自身と他者に対する責任の自覚かを通して目指していたのは、(…)個人や集団がテクノクラート的な展望ではなく倫理的な展望のなかで、おのれの存在の意味を獲得し直していくようにすることでした。それは、集団的な責任の自覚をうながすとともに、他方で労働との関係の再特異化──もっと一般的に言うなら、ひとりひとりの個人的存在の再特異化──に依拠した活動様式を真正面から遂行するということです。われわれが設置した制度論的機械は、実存的主観性の再造形をおこの宇だけで満足するのではなくて、新しいタイプの主観性を生産しようとしていたのです。「ローテーション」によって形成され「役割分担表」によって導かれながら、情報と教育の集いに活発に参加する指導員たちは、しだいに彼らが病院にやってきたときとはかなり異なった存在になっていきました。彼らはラボルド的システムによって明らかになった狂気の世界になれ親しみ、新たな技術を修得しただけでなく、多くの看護婦や教育者、あるいはソーシャル・ワーカーなどが、通常の自分を不安にする他者性に対して身を守るためにまとう鎧を脱ぎ捨てたのです。/精神病者にも同様のことが言えます。(…)つまり世界との関係が刷新されたということです。/これが大事なことです。この世界との関係の変化は、精神病者の場合、人格の構成要素の変調に対応します。世界や他者が、もはやこれまでと同じ仕方では話しかけなくなったり、平穏な中立性を失って混乱を起こし始めるのです。(Op. cit., pp. 98-99)

  

「つなぎなおし」あるいは「つながりなおし」というのは、ガタリ的思想におけるキータームである。壁に掛けられた時計の秒針に同期する脈を持った少女は、時計のある風景という世界と別な方法でつながりなおす必要があったのだ*1。 少女の主体は、もはや少女自身によって自律しているものではない。少女を囲む環境が少女の身体組成への傾れ込んでいたり、また反対に少女がその環境になんらかの影響を与えていたりする、そういうダイナミズムのこと称して主体、あるいは主観と呼ぶのである。秒針のリズムと少女の鼓動は、単一の存在であり主体-主観である。精神病者というのもこれと同様のもであり、精神病とはつまり1分に120秒のリズムを刻む秒針に同期した少女の鼓動のようなものである。だからこそ、これまで「平穏な中立性」として認められてきたものが「混乱を起こし始める」ことが重要なのだ──その中立性は誰にとっての中立性であってきたのか。そしてその「平穏な中立性」とは、なにも精神病者にとってのもののみではない。それは、より一般的な社会的意味での「平穏な中立性」でもあるが故に、精神病者がそれを動揺させるということは、そのまま社会の構成そのものへのオブジェクションともなる得るのである。だからこそ、ガタリは精神病院や精神病者に賭けたのだ。だからこそ、病人や障害者、不登校児や登校拒否生徒などは、自分の活動範囲はどこにあるのか、自分はなにをして生きることが心地よいのかを可能な限り全力で探すという<社会的>任務、そして意義を託されているのである。

 

精神病者が対話しようとする世界、この他者は、単に想像上のもの、錯乱的、幻想的なものにとどまるのではありません。この世界の他者はまた、日々の社会的・物質的な環境のなかで具現化されているものでもあります。精神療法は、想像的側面においては、患者の「投影的」な等価物を起点として身体を再構築し、自己の切れ目を縫合し、新たな実存的領土をつくりだそうとします。しかし他方、現実の側面においては、間主観的な領域と実践的な状況づくりが新たな答えをもたらすことになるのです。(…)[ラボルトにはそのために、]新たな活動の即興的な刷新のために大きな空き場所が用意されているのです。/厳格な図式、日常性の儀礼化、永遠不変に定められた責任の序列化といったものに則って構想された集団的生活、要するに集列化された集団生活は、病者にとっても看護師にとっても同様に、どうしようもない悲哀をもたらすことになります。(…)/都市の学校や病院、監獄などにおける生活もまた、空虚な繰り返しに基づいて構想するのではなく、その合目的性を絶えざる内的な再創造に向かって方向付けられるなら、ラボルドと同じように展開することを夢見ることができるはずです。(Op. cit., pp. 100-101)

 

ガタリという人物は、ただ本(しかも日本語に翻訳されたもの)を読んでいるだけでも感じ得るのだが、実際に対面し会話をしたことがある人の実に多くが、彼の人間性の豊かさやなんとも形容し難い人懐っこさに完全に魅了されるのだと言う。おそらくそれが彼の活動家的気質を特別なものとしていたのだろうし、また精神病院という社会的に特殊な場所においても、そこの風景に入り込み、拒絶されることなく、それを描き替える工夫を考案していくことができたのだろう。

 

Cf. INTERVIEW 「正常」とは何ですか?:伝説の精神病院「ラ・ボルド」で写真家・田村尚子が写した問いかけ « WIRED.jp