de54à24

pour tous et pour personne

星屑のささやき

外気を吸って煙を吐き出す。黒いセブンスター、リアルスモーク。冷たいベランダに展開する突然の星空。この空にはこんなにも多くの星が隠れていたのか。太陽が昇りきってもまだ吐く息が白くなり始めた日は、この青空を担保する真夜中の闇ですら無数の星を含み、そして星は可憐に瞬く。

 

昼間に、ようやくの思いで街に出て買ってきたコーヒー豆で淹れた冷めかけのコーヒーをすする。午前2時。普段、あまり煙草は吸わないのだが、10年くらい前から、調子が悪くなると持て余した時間を燃やすために日に何本かの煙草をベランダで吸う。煙草は外気で吸うのがいい。特に冬の外気は煙草の理想を叶えるようだ。

 

しばらく前に宅急便で届いた荷物のなかにあったグレープフルーツにザクリと包丁をいれた。鮮紅、透明な甘い香りが弾む。ほぼ同時に黄色い果実から血が滴り落ちたのを見て、慌てて包丁を置き、それを掌で掬い上げようとした。溢れたのは、しかし、もちろん実体のない時間だ。

 

グレープフルーツは、あまりにも多くのシンボルとなり、あまりにも大きな意味を担わされていて、悲しい果実だと思う。オノヨーコがこの悲しい果実の名前を冠した作品を作ったことを、思い出していた。私はアートもアーティストも厭いだ。より正確に言えば、尊敬するところが微塵もない現象と人種だと思っている。さらに言えば、こういうことをわざわざ言明するのも、また嫌うその理由を述べることも、日頃は極力謹んでいる──今夜は大きな例外だけど。そのくらい関わりたくないのだろう。

 

2日間眠ることなく過ごし、その次の数日は起きることなく過ごす。物理的には起きているが、あらゆる精神活動は停滞もしくは停止している。眠っているよりも深い意識の杜絶が故、この間の記憶はほとんどない。気がつくとカレンダーの数字が何日か先へ移行したところに「今日」を見つける。この空白──早送り──は、つまりデフォルト・モード・ネットワークの世界が意識を征服した証。芸術ということばの存在意義について誰かを説き伏せたいなどと申す者など、21世紀という響きにもはやなんの珍しさもなくなった今日においてもまだおられるというのか。陰々たる近代の残存。

 

装飾的な線の感覚的美しさで形式変化を説明する美学者は歓迎されるかも知れないが、そういう人は香りのよい美しい植物の植物誌に満足していればよい。しかし、それは決して樹液の循環や上昇を説明する植物生理学には導かないのだ。なぜなら、そうした植物の現象は、地下の根にまで下って生命を探求する人にこそ、初めてその秘密を明かすのだから。(E.H.ゴンブッチ『アビ・ヴァールブルク伝──ある知的生涯』)

 

ラフロイグの香りは、戸棚の奥から取り出された分厚く変色し少し湿った古書の香りだから、口に含むと少し古い本を読んでみたくなる。

 

 

アビ・ヴァールブルク伝―ある知的生涯

アビ・ヴァールブルク伝―ある知的生涯