de54à24

pour tous et pour personne

闇のなかから

メジャーなSNSは一通り試してみたし、なんならかなり力を入れていたものもいくつかある。しかし、思えばブログというブログはそういえばちゃんと書いたことがない。書こうと試みたことは何度かあったけれど、SNSのアカウントをすでにいくつか操っていたこともあり、必然性に欠けてすぐにやめてしまった。しかし、このブログ三日坊主の一番の原因は、他のSNSに忙しかったからということではなく、思うにそのアカウントがほとんど実名(私の所属をすぐに特定できるもの)であったが故であろう。他のSNSもほぼ実名でやっていたし、それではわざわざブログを開設して特筆するようなことも限られて当然であった。そのことに、坂口恭平さんの『坂口恭平躁鬱日記』を捲りながら先ほどふと思い至ったのだった。

 

なにをどう書くかはわからないけれど、とりあえず思い立ったが吉日ということばに焚きつけられてはここのブログを開設してみた。とはいえ、このブログ執筆スタイルがはてなと合うかまだわからないので、仮設、ということにしよう。必要があれば、またほかのブログに移行します。

 

それにしても、疾病の経験やその家族として過ごしたの経験のないひとは、躁鬱病双極性障害)についてどんなイメージをもっているのだろう。いわゆる精神疾患は、それを現実として体験していない人々にとって、いまでもきっとすごくイマジナリーで実態性のない不思議な世界なのではないだろうか。そして、一度でもそれを自らの体験としている人々もまた、病苦に涙もでない日々のなか、おそらく今までみたこともない現実というものの多様性に大きな混乱を覚えているのではないか。同じ曜日の同じ時間、毎週通院してくる顔なじみの面々は同じ病名を与えられ、その病名というシンボルが意味する病の実態に薬やカウンセリングなどあの手この手で治療に励む。やっていることは同じでも、病気の名前が同じでも、この種の「病」を患う人々は決して相互に理解ができるわけではないし、それゆえ病苦への同情共感を多少なりとも寄せたところで、その苦しみを正確にとらえることができているわけでは決してない。性格が違えば、当然病態も違うのだ。結局、精神が常軌を逸脱するという意味での精神疾患は、その当事者もそして当事者に向き合う者にとっても、母胎から生まれ出た特別な過去の瞬間、そのとき以来初めて経験する「まったき他者との無限の出会い」のようなものなのかもしれない。数十年間生きてきた世界は、通常ならば随分馴染んだ世界だから、「まったき他者」なるものは、それこそ最大の脅威のように感じられるだろう。

 

病気は私のものではないし、私の一部でもない。むしろ、私の輪郭──無論、そんなものが存在するのであれば、ということだが──をとうの昔に乗り越えた位相で日々生きるものの宿命をまっとうするかのように淡々と変化を続けるなにものかである。極端なことを言えば、私は病気の一部なのだろう。そこではもはや治癒はおろか寛解ですら、望むことはばかばかしく思えてならない。そもそも「よりよく改善」すべき対象ではないのではないか。なんて、メルヘンチックな病の想像を繰り広げている。

 

ただ、 病気のことも、私というものも、当然のごとくわからないけわけだけれど、ひとつだけ確信をもって言えること、言うべきだと感じていることがある。

 

「死ななきゃなんでもいい」わけじゃない。