de54à24

pour tous et pour personne

oki tegami

 

多くの人にとって春の大型連休最後の日となる6日は、久しぶりによく晴れたこともあって、天候が悪いとそれに引きずられるようにして悪化する重苦しい体調からようやく免れた。済まさねばならない用事がこの悪天候続きの日々の間に溜まってしまったので、今日はそれをできるかぎり消化する一日にした。母の日のお祝いというのは、ここ10余年碌にしたこともなかったので、両親がやっと日本にいる5月にはぜひなにか贈り物をしたいと思っていた。いろいろ考えたが、チープなモノを下手に送るよりも、おいしいもののほうがいいだろうと結論し、週末にはまた海外へ戻る両親のためにできる限り賞味期限の長いおいしいものを探した。結局、シュヴァンセンの「竹取物語」とオ・グルニエ・ドールの焼き菓子を贈ることにした。それに、母のための紅茶と父のためのコーヒーを、それぞれ専門店で購入した。街を歩きながらすれ違ったいくつかの花屋をみながら、日本にゆっくり帰国できるときがきたときには、花が好きな母へまたいつか美しい花束を贈りたいと思っていた。

 

それより少し前、妹の展示が始まったようで、5日に両親からそれを見に行くところだと連絡があった。大学院時代の有志4人による約一月に渡る長丁場の展示らしい。今回、妹は二点の作品を出展している。そのうちのひとつがインスタレーション的アニメーションで、もうひとつが数年前から取り組んでいる「こびとの気配」にまつわるインスタレーションである。後者に関しては、私も彼女の修士論文を手伝いながら、理念的、方法論的、物語的、心理学的など諸々の根拠付けがいかに鑑賞者の世界を変えうるかということを一緒に考えていた。つまり、その作品──正確には、連続するプロジェクト──におけるテーゼは、実在が確かめられないもの(例えば、座敷童や河童など)の存在論についてであり、人々が互いに語り合い続けることによって、未確認のものの存在についての信憑性を拡張していくのではないか、というものであった。これは、転じてわれわれは存在というものをいかに信じているのかということでもある。誰も見たことがない気配だけの「存在」というものは、目で確かめるとは別の方法でも、実在を確認することができるのではないか。そのために修了制作で妹がまっさきに取り組んだのが「気配」をいかにして作品とするかということだった。それが成功したかどうかは、判断に迷うところだが、取り組みとしては十分に充実したものであったと私は感じた。物理的なレベルでより熟達していけば、モノとしての作品はより一層洗練したものになるであろうし、気配についての研究をいまよりずっと多角的に行えるようになれば、表層的な部分もより繊細なものになるだろう。

 

概して、私からみえる問題は、妹がほとんど本を読まないということである……そして、彼女に本を読ませるのが私の仕事になっているような気がしないでもないということである。試しに本を送ってみても、ろくにタイトルも見ぬまま本棚に並べているようだった。彼女が「気配」の研究をするのと同じように、私は彼女が本を読みたくなるようなデバイスを開発しなくてはならないのだった。人間の行動を無意識のうちに変える技術、他でもなくこれこそが art の定義である。

 

最新号の『現代思想』を新たに訪れた病院の待合で眺めるように読んだ。特集タイトルが「精神医療のリアル──DSM-5時代の精神の〈病〉」といかにも『現代思想』らしいものだが、開いてみれば収められてテクストは文体および内容共にとても読みやすいものであった。文筆の専門家というよりも、現役臨床医や映画監督などが筆を握っているからかもしれない。

 

A letter to my friends, below.

 ここ半年、心身ともに地獄のような不調が続いていますが、わけあって病院を変える必要があり、本日新しい病院に行きました。

いかんせん病歴が長いので、初診では必ず大急ぎで「私の20年」を振り返る作業に追われます。それでもしかし、さすが病歴が長いので、己の20年を語らせたら右にでるものなしという感じです。今日は先に一時間余りかけて臨床心理士と面談をし、その後血液検査や心電図などの検査をはさんで、最後に医師との面談でした。新しい病院に選んだところが、どうやら大繁盛の個人クリニックで、朝9時開院の1時間前から行列ができはじめ、私が到着した8時半の時点ではすでに20人が並んでいました。しかも、ようやく院長先生の診察にこぎつけたのは、夜11時半過ぎ、診察終了は0時を30分以上過ぎたころでした。どんだけ混むのよ!!!あまりの事態に朦朧としながら的の外れた笑いしか出ません。もちろん、朝からずっと診察に当たっている医師もくたくた。二人で疲労の空笑いを交えながら、それでも懇切丁寧な初診で、約1時間をかけて話し合いました。これまで10以上の精神科に顔を出してきましたが、こんなにもシステマティックかつ丁寧で明快な初診には一度たりとも出会ったことがありませんでした。さすが大人気の所以です。

転院を機に当然のように病名が増えるのが精神科なのですが、精神科における病名というのは外科内科などとは少し違います。精神科医師の診断としての病名というのは、いわば医師の世界観を示すものです。世の中には八百屋屋もいれば魚屋もいるし、車屋もいれば遺伝子工学屋もいるわけで、それぞれ同じ世界に暮らしていても、違った世界観を持ち、さまざまな理解や解釈を生みながら生きています。農家にとってはすばらしい価値のある土地や天候でも、それが漁師にとっても同じように価値があるとは限らない。雨という気候現象も、農家と漁師ではまったく異なる「意味」を持っています。それと同じことが、個々の精神科の医師たちの間にもあるわけです──もちろん、同時代の医師たちにはある程度の「コンセンサス」はありますし、「科学としての医学」という側面を尊重するという原則もありますが、しかし、精神科医療というのはいわば半永久的に答えのでない問いとの戦いであるため、個々の医師がそれぞれに「自分の専門」や「自分の立場」をもって目の前に現れた患者(の病・症状)を診断し治療する必要があるのです(もっと言えば、医師たちの間にある「差異」がたくさんあればあるほど、精神疾患への理解はより正確なものとなるでしょうし、また患者の寛解や治癒の可能性も増えることでしょう)。

そんなわけで今日もまたここ20年を総ざらいし、いままで思いも寄らなかった新しい病名が医師によって提案されました。今までの病気(病名)も「否定しない」ということですが、より正確に言えば今までの病気はあくまでも「二次障害」であり、それを引き起こしているより根本的な別の疾病メカニズムが存在する、というのが新しい医師の所見です。私としては、ここ3年間、同じ診断と同じ薬で治療を続けてきたのですが、寝食を初め毎日の生活を十分に営めるだけの気力体力がなかなか回復してこないので、他の治療方法があるというのはとてもありがたいことであると思っています──現時点では、その新しい世界観が私にとってどのようなものであるのかはまだわかりませんが、「新しい医師からの新しい提案を信じてみよう」と思えるだけでも十分な幸運に恵まれていると思います。

さっそく新しい薬が出て、明日から試験的に服用します。精神科の薬は副作用が多いので、新しい薬というのもまた闘いです。前任の主治医に対してはかなりの信頼を置いていたので、年明けすぐの診察で先生の遠方への転院を知らされたときの衝撃は大変なものでしたが、変化というものは「可能的なものを新しく呼び寄せる機会である」ことを信じていけたらと(半ば自分に暗示をかけるように)思っています。どうなるかしら。

待ち時間に、最新号の『現代思想』をパラパラ読んでいましたが、特集 精神医療のリアル──DMS-5時代の精神の〈病〉はなかなか読み応えがあり(かつ読みやすく)おもしろかかったです。個人的には小泉義之先生の論文「人格障害スペクトラム化」や松本卓也先生の「DSMは何を排除したのか?──ラカン精神分析と科学」が特に勉強になりました。他にも映画『精神』(
映画『精神』公式サイト)の想田和弘監督の寄稿や『収容病棟』映画『収容病棟』公式サイト)の王兵監督のインタビューなども読めます。病院の本棚には誰のセレクションなのか沢山のル・クレジオリョサなどの著作がたくさん並んでいました(千葉雅也さんの『動きすぎてはいけない──ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』もあった)。待ち時間が長いから、これからゆっくり読破していこうかな。


ちょっと遅くなりましたが、みなさま、充実した新年度をお過ごしください。

oyasumi xxx

                                      2014.5.9 

                                         K

 

 

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